昔の作品のアニメ化、連載が終了した時に思うこと
「2015年には『うしおととら』、そして2018年には『からくりサーカス』がアニメ化されました。何十年も前の作品がアニメ化されるというのは、原作者としてどんな気持ちなんでしょうか?」
「ありがたいことですよねぇ! どんな気持ちかというと……洗濯物のGパンのポケットから千円札を発見したような気持ちです。すごいラッキーじゃないですか!?」
「なんてわかりやすい喩えだ……」
「もちろん、ありがたいなぁってほんと思ってます。スタッフの人とか、わざわざ俺の作品を選んでくれて……音楽や主題歌も良いのつけてくれてね」
「先生は毎週アニメの感想を書いてアニメスタジオにFAXしたり、大きなからくり人形の資料を打ち合わせの時に持っていったり、めちゃめちゃ協力されてたという話を聞いたことがあります」
「そりゃ嬉しいことですから協力しますよ! ただ、マンガ家にできる一番のことは、今のマンガを頑張ることかなと。もう頭の中はいつでも『双亡亭』の原稿のことでいっぱいですから」
「そんなにず~っと考えてるものなんですか?」
「『からくりサーカス』と『うしおととら』はすでに完結してますから、今更どうしたって作品の直しはできない。ところが連載中の『双亡亭』は、考えれば考えるほど来週の原稿が良くなる。だからいつでも考えていたいんです」
「『からくり』と、『うしとら』は、どちらもかなり長寿連載でしたよね? 連載が終わった時ってどんな気持ちだったんでしょうか」
「解放された~なのか、もっと描きたかった、なのか」
「それまで毎週、締切に間に合うように一生懸命描いてきて、考えていること全部叩きつけて……だから連載が終了した時は脱力と解放ですよね。やっと責任が果たせたっていう」
「あれほどの超大作を連載してた人が言う『責任』って言葉、めっちゃ重いな」
「連載が終わったというのは自分にとっての解放だけじゃなくて、長く付き合ってくれた読者を解放してあげられた、という気持ち良さもあります」
「ずっと応援してきたことが報われる、最っ高の終わり方でした」
「何よりも一番嬉しいのは、最後まで描き終えたこと自体ですよ。だってマンガっていうのは些細なことで連載が終了してしまうこともありますから」
「確かに。いやむしろ、すべて描き切れずに連載終了してしまうことのほうが多いですよね」
「そうなんです。マンガ家の中には、事故とか病気とか、最後まで描ききれない方がたくさんいる。自分が最終回の『終わり』の文字まで付けられたというのは、すごく奇跡的なことで、だから嬉しかったなぁ」
「長期連載が終わって“解放”された直後、最初に何をされたのですか?」
「仕事場のみんなで温泉に行きましたよ!『ようやく終わった~』とか言いながら乾杯したり温泉に入ったりして、楽しかったなぁ」
「さぞかし幸福な一夜だったのでしょうね!」
「連載終了ほどではなくても、毎週の締切が終わってオフの日も“ちょっとした解放”ですよね。どのように過ごされてるんでしょうか」
「せっかくのオフですから、家族と遊びに行ったりとか……ただ、色々とネタを仕入れないといけませんからねぇ。『双亡亭』だと敵は画家なんで、芸術家のエッセイとか、評論とかを読んでノートに書いてます」
「作品を読んでる時、『どうやってこんな知識量を仕入れてるんだろう?』って思ってました。絶対、僕ら一般人よりは時間がないはずなのに」
「俺も世間のマンガ家さんに聞きたいですよ。『どうやって時間作ってんの?』って。連載中で時間が無いから何もインプットできませんでした、だと話にならないから、みんな何とかしてんだろうけど」
「先生は映画とかもすごく詳しいですよね」
「映画は単純に好きですからね。ただ、『これマンガに使えるだろうか?』という視点で見てしまって、純粋に楽しめてないかもしれません。職業病ですね」
映画や本などの感想をノートに書いているそうです
ちなみに先生がアシスタントさんたちに観るように勧めている映画は、『オーロラの彼方へ』と『潮風のいたずら』。みなさんも見てみよう!
「オフの時まで仕事絡みなのは悔しいから、何も考えずに楽しんだり、外に出て遊びたいなぁとは思ってますけど」
「先生が『遊ぶ』というと、どのようなことをするんですか?」
「珍しいものを見にいくとか……例えば新宿のVR(バーチャルリアリティ)を楽しめる施設に行ったりね。新しいタイプのイベントにはアシスタントたちと行ったりします。なるべく乗っていきたいんですよ、そういうの」
「感性が若過ぎる」
「少年マンガだと、子どもから若い人たちに向けてマンガを描きますからね。『おじいちゃんだから新しいことはわかんねぇや!』というのは嫌ですよね」
「それを忙しい合間を縫ってやってるってのがすごいです」
「だって『この連載が終わったら遊ぼう』なんて思ってると、終わる頃にはスッカリ浦島太郎ですよ。『からくり』だと連載が9年続きましたけど、9年も机の上でじっとしてたら、これから遊ぼうとしたって何していいのかわからない。今やらないと!」
マンガ家として生きるということ
「30年仕事してきて、もう無理! 描けない! ということはなかったんですか?」
「『月光条例』というマンガを描いてたときにありましたね。昔から嫌いな『マッチ売りの少女』に対して物申すつもりで描いてたんですけど……」
「『うしおととら』でもおっしゃってましたね。“なんでかわいそうな女の子がかわいそうなコトになっちまうんだよ!!”って」
「そう、すごく嫌いだったんですが……アンデルセンが『マッチ売りの少女』を書いたときの背景とか気持ちを本で読んで、『だからそういうふうに書いたのか!』って、わかっちゃった。あの物語に対する憎しみが、全部無くなってしまった」
マッチ売りの少女
作者のアンデルセンは、貧困のうちに亡くなった母を思い出して、この作品を書いたとされる。貧しい者を見捨てる当時のデンマーク社会への批判という説も
「そうなるともう、物申すつもりで描いてた『月光条例』の展開が、全然出てこなくなった。来週また締め切りあるのに……」
「そういう時、どうやってモチベーションを戻すんですか?」
「長い間やってきた経験から、“自動操縦装置”は働くんですよ。コンディションに関わらず手が描いてくれる」
「へぇぇぇ~~~!!」
「自動操縦でなんとか週刊連載をやりつつ、その間にじっと精神の戻りを待ちました。連載作家としては大ピンチでしたけど、穴は開けませんでしたよ!」
※穴を開ける=締切に間に合わず雑誌に載らないこと
「僕は以前、マンガ家と言うと、他人なんて気にせず自分がおもしろいと思うことを追求するものだとイメージしていました。でも先生の本『読者ハ読ムナ(笑)』には、読者に届いてこその商品、マンガと書かれていますよね」
「自分が面白いと思うことと、読者が面白いと思うことって、違うケースも多いんですよ。だからといって『読者が求めてないから』で諦めていたら、マンガ家には成れない」
「ではどうすればいいのでしょう?」
「例えば、ラーメンに歯磨き粉ぶち込んで、その味が好きだっていっても、お客さんの好みとは合わないでしょう。だからといってラーメン屋を諦める必要はなくて。じゃあニンニクにしてみるか、とかすり合わせしたらいい」
「なるほど、すり合わせ……」
「また、“自分と感性が違う人たち”に、自分が好きなものをできるだけ興味を持ってもらえるように、いわば通訳みたいに伝えることも大事ですね」
「伝える努力が必要だと」
「自分と読者の“面白いもの”をすり合わせる、興味を持ってくれるように説明する……これが俺たちが仕事としてやることだと思いますよ。読者を無視してたら、俺はマンガ家に成れてません」
「先生は、作品に社会的なメッセージを込めることはありますか?」
「俺は、あんまり社会を斬るみたいなのはやらないですね。自分が少年の時に、マンガは純粋なエンターテイメントであってほしいと思ってたから」
「だから自分の作品にはそういうのを入れないようにしてるんですね」
「自分が描くマンガも、読んだらスカっとして明日からも気持ちよく頑張れるような……いやもっと明快に、ラーメン屋でラーメン待ってる間に、その時間がすごく短く感じるような作品でありたいと思ってます」
「か……かっこいい!!!」
「社会的メッセージは“描きたくないもの”でしたが、では逆に、“描きたいもの”というとどんな要素なんでしょうか」
「それは昔から、キャラクターですね。男の生きざまとか女の肝っ玉とか心意気とか、そういうものが描きたいんですよ」
「確かに、先生の描くキャラクターは老若男女、敵ですら魅力的です」
「『双亡亭』では、時代も職業も違うキャラクターがたくさん出てきます。僕は黄ノ下残花(きのしたざんか)というキャラが好きなんですが」
黄ノ下残花=旧日本軍少尉。昭和7年(1932年)首相暗殺犯を追い双亡亭に突入
「残花は旧日本軍の軍人で、厳しい組織の中で使命をもった男ですね。上層部に大きな意思があって、自由気ままには生きられず、圧力が加えられた男。そういうのは描きごたえがありますね」
「残花、強いしストイックだしカッコイイんだよなぁ」
「逆に自由に生きてる風来坊にも、風来坊の人生観なり死生観があって格好いい。みんなそれぞれ、考えがあって何かを背負ってるでしょ? 俺は、どういう立場の人が、どういう立ち向かい方や挑戦をしたのかに興味があります」
「『うしとら』や『からくり』では、主人公は特殊な力を持った強キャラでした。でも最新作の『双亡亭』では、主人公は腕力のない弱いキャラですよね。これは他の作品との差別化などの意図があったんでしょうか」
『双亡亭壊すべし』の主人公 凧葉務(タコハ ツトム)の設定図
「そんなに深い意味はないんですけど、『双亡亭』ではいわゆる幽霊屋敷の恐怖を描きたかったんですね。だからスーパーヒーローがいて、そいつがいれば勝っちゃうという設定にはできなかったんですよ」
「なるほど! 確かに毎回『これもう、人類終わりだろ……』っていう絶望感を味わってます」
「『双亡亭』でひとつ聞きたいことがあったんですが……“あのヒト”の惑星を覆っていた海ってあるじゃないですか」
「凧葉 青一が旅客機でたどり着いた、異星の海ですね」
左上の、手がドリル状になってる少年が凧葉 青一 ※藤田和日郎原画展にて撮影
「あの海水って、青一に記憶を伝承したり、不死に近い体と特殊な能力を与えてますが……ひょっとして『からくり』に出てきた“生命の水(アクア・ウイタエ)”なのでは!?」
「よくそれに気づきましたね」
「おぉ、では……」
「と言いたいところですが、単純に俺がそういう水のイメージが好きなんで似通っちゃっただけですね(笑)」
「先生の作品は、読んですぐ『あ、藤田和日郎先生のマンガだ』ってわかりますよね」
「デビュー作の頃から全く変わってない。お化けが出てきて、気力を奮い立たせて一般人が闘う、とかそういうようなものを、ず~っとやってるんですよね。例えば俺のマンガに可哀そうな男の子が出てきたとして……どう展開すると思います?」
「え~っと、主人公の生き方を見て、その男の子が勇気を出して立ち上がる……とか?」
「ですよね。そうじゃないと俺がイヤですから。残酷なだけの話とか、頑張ったけど無理でしたなんて話、描きたくないんだよなぁ」
「特徴として、主人公が一方的に助けるというよりは、可哀想な男の子の側も勇気を奮い起こさなきゃいけない!っていうのがありますね」
「時代の潮流に逆らってるのかもしれませんけど、『あなたはそのままでいいんだよ』という優しい言葉とは、ちょっと違う精神で描いてるかもしれません」
「あぁ、『そのままでいいんだよ』って方向は、確かに流行ってますね」
「俺、自分に理想があるんだったら変わらなきゃ! やんなきゃ! という主人公ばっかり描いちゃうんですよ」
最後に
「今日は本当に貴重なお話がきけました! 最後に、現在連載中の『双亡亭壊すべし』の読者に向けてメッセージをお願いします」
「これから、読者の皆さんを『双亡亭』の物凄く深くまで引きずり込みますけど、その分、“解放”のときは気持良くさせますよ! よろしければお付き合いください! ガッカリはさせません」
「ガッカリしたことはないです!」
「今までガッカリさせなかったのは単なるラッキーで、ひょっとしたら次はガッカリさせちゃうかもしれないっていう恐怖が、いつもあるんで」
「まだ『怖さ』をもってるっていうのが驚きです。先生くらいの作家だと『俺の描くものがわからないなら、わからない方が悪い』とか言ってもおかしくないじゃないですか」
「いつまで経っても怖いですよ。だからジタバタしたいし、アンケートも欲しい。何とか生き延びたいと思ってるんで、ふんぞり返ってるわけにはいかないですね」
「じゃあ、『俺の描くものがわからないなら、わからない方が悪い』とはまったく思ってない?」
「……ま、そういう気持ちもゼロではないです(笑)。いや結局ね、マンガ家と読者ってケンカしてるような感じじゃないですか。『このマンガおもしろいでしょ!?』『こんな展開はどうよ!?』みたいな」
「確かに、おもしろいかどうかの殴り合いなのかもしれませんね」
「殴り合えるのは、ありがたいことですよ。そっぽ向かれたらどうしようもないから。向かい合ってくれないとケンカにもなりませんもんね!」
「今の所、僕らは先生の作品のおもしろさに、全敗してますね」
「負けて悔いなし。『双亡亭壊すべし』楽しみにしてます!」
「これからも応援してくださいね!」
以上です。
ちなみに、取材が終わって「本日はありがとうございました」とお礼を伝えると、藤田先生は「こちらこそありがとうございました」って言って握手してくれました。
そんなことあります?
取材させてもらって、一方的におもしろい話を聞かせてもらったのはこっちなのに!!
僕は感動してまあまあ泣いてしまいました。ありがとうございました。
記事中に入り切らなかった写真を、画像ギャラリーのコーナー(ず~っと下の方にあります)で公開しています。そちらも見てみてくださいね!
(終わり)
~記事まとめ~
現在、藤田先生入魂作『双亡亭壊すべし』は15巻まで発売中。
一体この続きどうなるの~!?と目から血を流しながら待っているみなさん、ついに待望の16巻が3月18日頃発売になりますよー!
追い詰められた破壊者たちに希望はあるのか!? 人類は生き残れるのか!? 乞うご期待!