ほとんど家から出ずに黙々と一人で生活していると、さまざまな雑念が頭に浮かんでは消えてゆくもの。

 

この日記では、家から出ないことに定評のあるライター・上田啓太が、日々の雑念や妄想を文章の形にして、みなさんにお届けします。

 

今回は、

・コメダのおしぼりで顔をふきたい

・今夜は月が汚いですね

・祖霊ギアについて

の三本です。

 

上田啓太

文筆業。ブログ「真顔日記」を中心に、ネットのあちこちで活動中。
ブログ:真顔日記 Twitter:@ueda_keita

 

コメダのおしぼりで顔をふきたい

コメダ珈琲に行くと、おしぼりが出てくる。それで顔をふきたくてたまらなくなる。なぜオッサンは飲食店のおしぼりで顔をふくのか。十代の頃、そんなあるあるネタを見て笑っていたが、たしかに今ものすごく顔をふきたい。謎だ。なぜなのか。分泌物が関係しているのだろうか。

 

実際は我慢している。平然をよそおって、静かに手だけをふいている。生肉を前に待てと言われた飼い犬のようだ。おしぼりに対して心が前のめりになっている。世間というご主人に待てと命令されている。それをすると終わりだ。

 

しかし、なぜふいてはいけないのか。このおしぼりで顔をふけば絶対に気持ちがいいはずなのに。昔、床屋で顔剃りをしたあと、顔に蒸しタオルを置かれた。当時は高校生だったが、すでに気持ちよかった。すごくさっぱりして、快活に生きられる予感がした。ということは、これはオッサンあるあるというよりは、人間あるあるなのだろうか。

 

すなわち、人間はだれしも顔をおしぼりでふきたいという欲求を持って暮らしているのだが、それを抑制して生きている。しかし人間は一定の年齢を過ぎると我慢と快楽の微妙なバランスを維持することがむずかしくなり、日々の小さな欲求へのタガが外れて、おしぼりで顔をふいてしまう。

 

たんに皮脂の問題の気がするが。

 

それにしても、床屋で顔剃りのあとにのせられる蒸しタオルはよかった。人生とはああいうものだな。ああした瞬間の繰り返しで生きていければ最高だ。このままコメダの店の床に横たわって、熱々のおしぼりを顔にのせたくなってきた。だが、それは明確にダメだろう。オッサンあるあるですらなくなる。狂人あるあるだ。

今夜は月が汚いですね

今夜は月がきれいだった。しかし考えてみると、そもそも月は汚かったことがない。というか、自分は月の美醜をいちいち判断していない気がした。月が出ていればアホのように自動的に、きれいな月だと感じている。こんなものは、認識の流れ作業じゃないか。

 

ベルトコンベアから流れてきた月を惰性にまかせて検品するかのように、はいはい月夜ですね、きれいですね、問題ありません、非常にきれいです、それじゃ次の月どうぞ、という感じで、これじゃあ、風情もくそもない。

 

月を見上げて、汚い月だと思う日もあればいい。そのほうがスリリングな日々を送れる。汚いものが遠くの夜空に浮かんでいるというのも、それはそれで面白い。

 

「きたねえ月だ。へどが出る」

 

縁側で夜酒を飲みながら、そんな悪態をついてみたい。

 

しかし、汚い月というのは、具体的にどういうものなんだろう。はるか遠くに浮かんでいるものを汚いと感じるのは、意外とむずかしい気もする。ほこりまみれの月、どろまみれの月か? くそまみれの月というのはありえないか? 木星にフンをしてもらえばいいのか? 木星のフンはでかいだろう。惑星のなかでもいちばんでかい。ゾウのフンがでかいことの応用問題だ。

 

何の話だか分からなくなってきた。月の話か? そもそも話題と呼べるほどのものなど存在していなかった気もする。無を書くな、無を。

 

夏目漱石がアイラヴユーを「今夜は月がきれいですね」と訳したという逸話があるが、「今夜は月が汚いですね」と言った場合はどうなるのか。素直に考えれば、アイヘイトユーである。嫌いな女子と会話しながら、「今夜は月が汚いですね」と連呼して、自分の気持ちを遠回しに伝えようとする漱石。めちゃめちゃイヤなやつ。

祖霊ギアについて

アマゾンのマーケットプレイスで古本を買う。たくさんの古書店が出品している。入手のむずかしい絶版本を探しているときなんかに、とくに便利だ。古書は状態を元に値付けされている。状態が悪いほど安くなるわけだ。新品、ほとんど新品、良、可、というふうに、基本ステータスが表示されていて、その下に具体的な状態が記されている。「表紙にヤケあり」とか「鉛筆で書き込みあり」みたいに。

 

今日、いつものようにマーケットプレイスを漁っていたら、ある中古本の説明書きに、

 

「初版。帯なし。カバーに細かいスレあり。祖霊ギアは問題ありません」

 

と書いてあって、最後に出てきた新手のオカルト用語みたいなやつは何なんだ、と動揺した。古書店界隈の隠語か何かか。祖霊ギアなんて言葉は聞いたこともないが。

 

少し考えて理解した。たぶん「それ以外」の打ち間違いだ。パソコンのキーボードですばやく文字を打ちこむことを想像すると分かるのだが、SOREIGAIをタイプミスすると、SOREIGIAになる。こうした古書店は大量の本を扱っているから、誤入力を見逃したまま公開しちゃったのではないか。

 

しかし祖霊ギアというのは、タイプミスにしておくにはもったいない響きだった。祖霊ギアに問題のある古本をむしろ買ってみたい。

 

あらゆる本にはそれぞれの祖霊ギアが憑いていて、その書物を守っているのだが、祖霊ギアに問題が生じた場合、それは反転して、怖ろしい呪いとなる。うかつに手を出すと、最悪の事態が待っている。ある購入者は、書斎でミイラのように干からびて椅子に座ったまま死んでいた。男の瞳には漆黒の闇。それが安さの理由だった……。

 

もうひとつ、同じくマーケットプレイスの話なのだが、前に見た別の本では、ボロクソな状態をずーっと記述した後、「それ以外は問題ありません」と書いてあって笑った。それはもう純粋に「それ以外って何だよ」と思えるボロクソ具合だった。記憶を頼りに適当に再現してみると、

 

「表紙に強いヤケがあります。古書特有のきつい匂いがあります。天井と小口にヨゴレがあります。複数のページに渡ってボールペンで書き込みがあります。複数のページに渡って折れと破れがあります。裏表紙にコーヒーをこぼしたような染みがあります。それ以外はとくに問題ありません」

 

という感じで、すでに頭の中にはボロボロの古文書みたいなものが浮かんでいたから、「それ以外とは?」という問いが生じた。

 

たとえば、海外旅行に行くために自宅の留守番を人にたのんで、しばらくして帰ってきたら、

 

「あなたの家を留守番しているあいだに、家宝の壺を割って、大切な掛け軸をビリビリに破って、料理に失敗してボヤを起こして、近所の人たちと立て続けにトラブルを起こして、スプレーでブロック塀に人格のすべてを否定するような言葉を書かれるようにはなりましたが、それ以外はとくに問題ありません」

 

みたいな。それ以外って何よ。


 

ということで、今回は三本の日記でした。

それでは、また次回。