その地域ならではの食として、地元から全国まで珍重されるローカルフード。実はそのローカルフードだが、希少化していくものも多い。

後継者がいなかった、作り方が受け継がれなかった、食材が手に入りにくくなったなど、原因はさまざまだ。

 

しかし同時に、熱心な伝承者によって味の伝統が守られることもある。その中で今回は、「ローカルラーメン」にしぼって3例を紹介させてほしい。

北九州の2万人移住で生まれた「君津豚骨ラーメン」

「君津豚骨」という、千葉県の君津~木更津界隈で愛されるラーメンがある。

 

1960年代後半に八幡製鉄(のちの新日鉄)が千葉県君津市に大規模な新工場を建て、その付近に工員やその家族など約2万人もの北九州人が大移動した

 

その際にさまざまな九州カルチャーが流入し、北九州の方言や、料理店まで現地に浸透。その中で、当時の北九州ラーメンまでもやってきたのだ。

 

その店舗のひとつ、筆者が2018年に取材した「九州ラーメン日吉 大和田店」。当時を知る店主の方がラーメンを作ってくれた。

 

月見ラーメン(370円)

 

古くからの北九州ラーメンの味がパッケージングされている。油も一切浮いていないあっさりしたスープで、独特の香りとコクで、すする細麺が楽しい。

 

「昔ながらの北九州ラーメンを食べるなら、北九州より君津に行ったほうがいい」とまで言われるが、それも頷ける特有の味わいだ。

 

博多ラーメンとは違う、口に入れたときに香る味のひと押し

 

この店では、1本80~100円と格安のおでんとともにラーメンをすするスタイルだ。

 

北九州式のおでん。100円の牛すじ、餃子巻き以外は80円と格安

 

しかし、当時の大移動は企業移転による社員とその家族による一過性の動き。そのため、そこからの新陳代謝がなかなか生まれず、君津豚骨ラーメンの多くは店主が高齢化し、閉店が相次いだ。

 

閉店していた九州ラーメン店

 

多くの九州ラーメン店が跡を継ぐ者なく閉店し、今や残っている店は少しだけ。

 

もはや絶滅危惧種である君津豚骨ラーメンだが、君津に隣接する木更津にある「九州ラーメン友理」では、すでに2人の息子が跡を継いでいる

営業を続ける「九州ラーメン日吉」らとともに、まだ北九州の文化が香るこの地域ならではの九州ラーメンを守っていってほしい。

 

「九州ラーメン 友理」にはクリエイターが店に許可を得て作ったLINEスタンプもある

かつて45店舗が提供していた「キンピラらーめん」

B-1グランプリのムーブメントによって、00~10年代にかけて最盛期を迎えた開発型ご当地グルメブーム

 

しかし、だいたいの場合、その土地にもともとあるローカルフードのほうが強い。急造されたご当地グルメは、多くが苦戦する。なので近ごろは提供をやめた店も続出している。

 

一例として、提供店はおそらく残り1軒のご当地グルメ。千葉県印西市「ラーメンとん吉」の「印西みそピーから揚げ」(定食800円)。なかなかうまいしボリューミー

 

とくに埼玉県は開発型ご当地グルメが目立ち、その多くが時代に葬り去られた。川口市の「キューポラ定食」のように、提供店が(筆者調べで)消滅したものもある。

 

その開発型ご当地グルメでも先駆け的な存在が、埼玉県ふじみ野市上福岡の「キンピラらーめん」だ。かつて「入間ごぼう」の集積地だった上福岡で何か名物を、という意図で1992年ごろ生まれたという

 

「元祖札幌や 青山店」(現在閉店)。上福岡の店舗ではキンピラらーめんを提供していた

 

当時は毎月15日が「キンピラらーめんの日」で、どこでも300円で食べられた。各店の経営が心配になるようなサービスだが、往年のチェーン店である「元祖札幌や」と「びっくりラーメン」からも提供された。

 

開発型グルメとはいえ、発祥から30年経っていれば立派な歴史だと筆者は考える。提供店は2004年時点の埼玉県公式サイトの記載でも45店舗あったが、今はどうなっているのか。

キンピラらーめんが食べたくて、上福岡へ降り立った。

 

テレビにも出演するなど、長らくキンピラらーめんの提供店舗として知られていた「黄河菜館」(現「黄河菜館プラス」)は提供を終了していた。

 

すでに販売を終了。かつてはキンピラを柳川風にした「コスモスラーメン」も出していた

最後の一軒となった、キンピラらーめん提供店

キンピラらーめんは数年前までは3軒ほど提供していたようだが、2021年12月現在で提供店はどうやら1つだけになった模様。それの貴重な1店が「珍華」だ。

 

席について頼むのは、きんぴらラーメン(600円、商品名ママ)だ。

 

てっきり細かく刻まれたきんぴらか何かが載ってくるのかと思ったら、想像以上に存在感のある太さで驚いた。

 

麺ときんぴらごぼうで、食感がかなり違う。お互いが地続きというよりは、海と陸を行ったり来たりするような感覚だ。新鮮である。

鷹の爪も入っており、ときおりピリッとする。下地のラーメンの味がしっかりしているし、なかなか食べごたえもあるから、これで600円なら格安だ。

 

全盛期は、上福岡でいたるところのラーメン屋ののぼりが「キンピラらーめん」になっていたそうだ。その時代に思いを馳せながら、30年残る貴重な一杯をすすり上げた。

京都ラーメンとは違う「京風ラーメン」

もうひとつ。通常のローカルフードとは違うが、1980年代前後、“京風ラーメン”なるものが隆盛を誇っていた。

象徴的なチェーンは全国展開した「京都あかさたな」。1976年、京都四条河原町の阪急デパートで女性客をターゲットとして生まれたと聞く。

 

2010年まで存在した四条河原町の阪急百貨店に「京都あかさたな」の一号店があった(Photo by Kirakirameister)

 

もともとの京都ラーメンは天下一品や新福菜館など、なかなかパンチのあるものも多いが、“京風ラーメン”は京都のイメージをなぞった、あっさり味。透き通ったスープでサラッと食べる一品だった。

 

新福菜館のラーメン。京都のラーメンはジャンキー寄りなものも多い

 

甘味などをセット注文するスタイルで、店内や食器も京風できれい。“本当の京都生粋のラーメン”よりも、京都の対外的なイメージに合っていた。

そのおしゃれさが功を奏して、京風ラーメンは京都から全国に広まり大ブームに。女性がラーメンを食べるきっかけを作ったと言われる。

 

筆者の母親も好きで、船橋東武でよく食べさせてくれた思い出の味だ。当時は「これも一つのラーメンジャンル」として、サッパリおいしくいただいていた。

 

しかし、その後は博多豚骨や二郎系などパワフルな味わいのラーメンがもてはやされたからか、勢いはしぼむ。「京都あかさたな」も、2021年5月に近鉄名古屋のサンロード店が閉店し、岐阜の「あかさたな寿限無亭」1軒を残すのみとなった。

 

45年の歴史にピリオドを打った

まだまだ支持される京風らーめん

そして京風らーめんを提供する店は大きく減少。同メニューを屋号にまで掲げる店は、筆者調べで2軒のみとなった。「京風らーめん・あんみつ はなむら(伊勢崎)」と、「京風らーめん&甘味処 もも花 (池袋)」だ。

その中で最近、池袋の「もも花」に足を運んだ。

 

2019年12月にオープンした、まだ目新しいお店だ。女性客がほとんどで、店内はにぎわう。男性客もくつろいだ様子だった。

 

とにかくセットメニューと甘味が目に付くのが、京風ラーメンのスタイル。ラーメンひとつが小さめだから、いろいろと付け合わせで食べることでちょうどいいボリュームになるのだ。

 

祇園祭り(1,518円)

 

これこれ、というあっさり味。とにかく後味すっきりで、薄味すぎるというわけではない。コショウをかけずとも「これはこれでうまい」と最後までおいしく味わえた。

大人になって濃い味のラーメンに慣れすぎたので、物足りなく感じると思っていたら、ちゃんとうまく思えたのがなんだかうれしかった。そして、ぜんぶ食べ切ったあとの食後感がさわやかだ。

 

京風ラーメンはたしかに下火となったが、女性たちでにぎわっていた店内を考えると、まだまだ生き残るかもしれない。

 

このほかにも、ひそかに店舗数を減らしているローカルラーメンたちがある。

あなたの街にもあるかもしれない、実は消えそうなここだけの味。

 

それがどう生まれたかはさまざまだが、数十年の歳月が立派な食文化を築いている。それらを注文すれば未来に残る手助けになるし、いつものラーメンと違った楽しさが味わえるはずだ。