子どものころ、台所からカレーのにおいがすると無性にうれしかった。そこから夕食を待つ1時間は、何よりもゴキゲンでいられた気がする。

 

カレーは、そんな日本人の思い出だらけの国民食だ。最近では多種多様なスパイスを調合して作る「スパイスカレー」がブームになるなど、いっそうの盛り上がりを見せている。

 

ところで皆さんは、「日本のカレーの味」を作ったのはエスビー食品の「赤缶カレー粉」と言われているのをご存知だろうか。

その生みの親は、エスビー食品の創業者・山崎峯次郎。

山崎峯次郎は1923年に初の国産カレー粉の製造に成功した。さらに研究と改良を重ね、1950年に家庭向けカレー粉として発売されたものが赤缶カレー粉なのだ。

 

そして発売70周年を迎えた今年、この赤缶カレー粉に再評価の流れが来ているそう。

カレーはルウから作る人がほとんどのいま、一体なぜ? そのワケを探ると、スパイスカレーブームが生まれた理由や、日本におけるカレーの好みの広がりが見えてきたのだ。

 

「超高級品だった日本のカレーを赤缶カレー粉が変えた」「日本にスパイス料理の文化が本格的に生まれたのは、明治時代から」などなど、赤缶カレー粉の実力と日本のスパイス史について、エスビー食品株式会社の中本洋平さんに話を伺った。

 

ブラックペッパーの巨大オブジェと、エスビー食品 広報・IR室の中本洋平さん

 

「赤缶カレー粉」はカレーを作るだけにあらず

「エスビー食品さんはカレー粉やカレールウだけでなく、『七味唐からし』やチューブタイプの『おろし生わさび』など、いろんなスパイス商品を出されていますよね」

「そうですね。直近の2018年度だと、国内の家庭用スパイス市場で約6割のシェア(※インテージSRI香辛料市場金額シェア)があります」

「日本のスパイスの半分以上を販売する会社…!!」

「そして、弊社の歴史の始まりが『カレー粉』でもあるんです」

「ほほう。そもそも、カレー粉とカレールウは別物なわけですよね」

「そうですね。小麦粉や油脂分、うま味を出す調味料などにカレー粉を加え、固形にしたものが『カレールウ』。エスビー食品では1954年から販売していますが、カレー粉に比べて、手軽にカレーを作ることができる点がご好評いただいています。でも、赤缶カレー粉もかなり売れていますよ」

「正直、僕もカレーを作る時に使うのはルウのイメージがあったので、赤缶カレー粉も人気なのは驚きでした」

カレー粉を調味料的に使う方も多いんですよ。たとえばケチャップと混ぜた『カレーケチャップ』を作ってオムライスにかけたり、醤油と混ぜて焼いたお肉にかけたり、魚の臭みを消すのに使ったり。ルウにはできないカレー粉のよさがあるんですね」

「カレー粉はカレーライスを作るだけではないのか!」

「カレー粉はスパイスとハーブをブレンドしたものです。たくさん使えばいわゆるカレー味になりますが、少しだけなら、ほんのりスパイスの風味だけを乗せられます。ですから、赤缶カレー粉は飲食店でも広くご利用いただいていますね

「たしかに街の定食屋や中華料理屋の厨房に、赤缶カレー粉が置いてあるのをよく目にするような。思った以上にユーティリティプレイヤーだ」

 

ただのウインナーでも、ケチャップと一緒にカレー粉をかけると特別感が出る気がする

 

赤缶カレー粉に使われているカレー粉は、日本人の好みに合わせて、スパイスの調合も含めてイチから作ったものなんです。ちょっと大げさかもしれませんが、日本における『カレー』のスタンダードになっていると思っています」

「昔と素材の配分は変えたりしていないんですか?」

「いいえ。私たちとしても、赤缶カレー粉の味が変わると、日本全国の飲食店さんの『カレー味』も変わってしまう、くらいに思っていますので。発売当初から変わらぬ味をお届けしています」

 

試行錯誤を繰り返し、はじめての国産カレー粉が完成

「カレーがこんなにポピュラーになる前、日本でのスパイス料理ってどんな感じだったんでしょう?」

「日本でスパイスやハーブが使われ始めた歴史自体は古くて、『古事記』に生姜やニンニクなどが記載されているんですよ」

「そんなに昔から!」

「しかし、当時のスパイスは高級品でした。料理というよりも貴重な薬として利用されていたようです

 

「また、日本は自然豊かで新鮮な素材が手に入ったので、古来より日常の食生活はスパイスやハーブで風味をつけるのではなく、素材の味を活かす食べ方が主流だったんです。刺身を食べるときに少しわさびをつける、とか。ですから明治時代におけるカレーの登場は、日本にスパイス食が広まるきっかけのひとつと言えると思います」

「カレーによって、日本食の地殻変動が起きたと」

「そうなんです。日本初の国産カレー粉である赤缶カレー粉が誕生するまでの流れを、かんたんに年表でご紹介しますね」

 

「インド→イギリス→日本と、形を変えながらカレーが伝わってきたんですね」

「明治から大正時代の日本人にとって、カレーは未知の食べ物でした。だから当時の日本人は、『カレーの樹』を粉にすればカレーができる、と思っていたなんて話も聞きますよ」

「へええ! そんな時代にエスビー食品の創業者さんが国産カレー粉を初めて製造したわけですね」

「誰もカレー粉の原料を知らず、文献さえもなかったため、山崎はゼロからの出発でした。スパイスの調合に取り組むが失敗続き。鼻でかぎながら調合するのですぐに鼻がきかなくなる。そこで、銭湯に行って鼻を洗い、体に染み付いた匂いを洗い流す」

 

エスビー食品の創業者・山崎峯次郎氏と、ともに社業に携わった妻・春栄氏の銅像

 

「日に何度も、家と銭湯を行き来しながら、家の前で立ち止まって考え事をしていたりしたんです。そんな行動が不審の目で見られ、職務質問までされてしまったというエピソードもあります」

「そうか、今の僕らはカレーの香りでテンションが上がりますけど、当時は『知らない香り』なわけですもんね。そんな創業者さんのおかげで、日本のカレーがあるとは……!」

 

「当時の日本には自宅でカレーを食べる文化がまだなかったので、はじめは飲食店向けに、業務用カレー粉として販売をスタートしました。まずはプロの目でエスビー食品のカレー粉が日本人の舌に合うと認識してもらう狙いがあったんです」

「カレーは最初、家で食べるものではなく、外食するものだったんですね」

「ええ、それに当時のカレーはまだ高くて、もりそばが1銭だとするとカレーは8銭くらいでした。『超高級品のカレーを、家で毎日で食べられるようにならないか』から開発がスタートしたので、山崎にとって家庭用のカレー粉を作るのは夢だったんです」

「いまで言うと、カレーは叙々苑弁当より高そう! その後、1950年に家庭用の赤缶カレー粉が発売されると。1923年のカレー粉の誕生から、だいぶ時間がかかっていますね」

「その間もカレーの研究を続けていましたし、戦争も重なったので、スパイスを輸入するのに困難な時代もあったんです。そして戦後に確かな品質のものをお届けできる形となり、満を持して赤缶カレー粉が登場したんです」

 

日本人のカレーの好みは広がっている

「赤缶カレー粉の登場以降、カレーが国民食になり、最近ではスパイスカレーも注目されています。日本人のカレーに関する好みって変化してるんでしょうか?」

「ええ。日本人のカレーの好みは変わったというより、広がったと思います。元々の『日本のカレー』は変わらず愛されながら、インドやネパールのカレー、さらにスープカレーやスパイスカレーなどが次々と登場しています」

「色々なカレーが共存していると。カレーの概念が広がり続けているんですね」

 

「弊社はスパイスカレーブームにいち早く着目していて、2017年8月には大阪の有名店『コロンビア8』のレトルトカレー商品も出しています。弊社には長年培われてきたスパイスの製造・調合技術がありますので、技術的にハードルの高いお店の味の再現にも成功しています」

「例えばどんな技術でしょうか?」

「これはレトルトカレーではなく赤缶カレー粉に関するものですが、スタンプミルという機械が使われています。杵(スタンプ)を落下させる力で臼(容器内)の原料を紛砕するものでして」

 

エスビー食品 スパイス展示館に展示されているスパイスミル

 

「杵と臼で、お餅みたい。日本人らしい発想だ」

「香りを立たせるうえで、一番の大敵は熱なんですよ。このスタンプミルは、赤缶カレー粉以降の商品製造にも使われています」

「スパイス作りで『香り』が重要なんですか?」

「はい。そもそもスパイスやハーブには料理を組み立てるために『香り』『色』『辛み』の3つの役割があります。その中でも実は香りが一番重要で、香りをどう組み合わせるかによって料理の味が変わるんです

 

「『スパイス=辛さを作るもの』というイメージがありますけど、香りづけが大事だったんですね」

「香りと色、辛みのバランスをとりながら、スパイスとハーブをブレンドしていくわけです。エスビー食品のカレー商品でも『ゴールデンカレー』『ディナーカレー』『とろけるカレー』など色々とありますが、それぞれ異なるブレンドなんですよ」

「へええ。そう考えると、カレーって奥深いですね。スパイスやハーブのバランスで味が全く変わるわけですから」

 

辛さの中にも「香り」を求める、今の日本人

「最近では激辛のカップ麺が出たり、激辛フードイベントが全国的な広がりを見せたり、『第4次激辛ブーム』とも一部で言われていますが」

「辛さのなかでも、花椒(ホアジャオ)などの痺れ系スパイスのブームは去年から続いていますね

 

夏限定の商品だった激辛の『ゴールデンカレーバリ辛』や辛いパスタソース『超辛アラビアータ』も、通年販売の希望が多く、今年からレギュラー発売されたそう

 

「辛さに関しても、痺れや超激辛など、好みの幅が広がっているんですね」

ただ『辛い』だけではなく、辛さのなかに『香り』や『うまみ』を求めるようになっていると思います。唐辛子も一種類だけで辛さを出すのではなく、2種類ほどブレンドして、辛さの質の違いを味わう方も増えているようです」

 

「ちなみに弊社の一味唐辛子も、通常の唐辛子に焙煎した唐辛子を加えることで、辛さに香ばしさを重ねているんですよ」

「ある意味、『二味唐辛子』ですね(笑)。ほかにもスパイスにまつわる商品を出されていますか?」

「スパイスやハーブ、塩と調味料をブレンドした『シーズニング』もよく利用いただいています。あらかじめ調合されていて、入れるだけでカンタンに本格的な料理が楽しめるので、時短で無駄なくお料理をしたい場合にぴったりです」

 

2人前使い切りの「メニュー専用シーズニング」

 

「料理をカンタンに済ませたい、僕みたいな人間にはピッタリですね」

スパイスとハーブを積極的に使って自宅で調理をするのは、過去においては料理上手の方中心だったんです。でもいまの10~20代の方、特に女性は海外旅行やエスニック料理体験などで食の世界が広がっています。お店の味を再現したい、となった時にシーズニングを使っていただくと、世界の味がご家庭で手軽にお楽しみいただけます」

「いまはネットでレシピも手に入りやすいですし、シーズニングをスタート地点にして、スパイス料理にハマるのもありですね」

「カレーをスパイスから作る方も増えた印象がありますね。弊社のHPにはスパイスから作るカレーのレシピも載せているのですが、よく閲覧されています」

「それって日本の新しいムーブメントと言えるんでしょうか?」

「そうですね。『カレールウ』の利用で国民食となったカレーライスですが、赤缶カレー粉を利用して手作りしたいという方も増えています。更に、最近ではスパイスとハーブをブレンドしてご自身の好みの味わいを楽しむ方も多いですね

 

「パウダーを使って自分の好きなように香りを重ねる方もいれば、ホール(※実や葉など、原型のままのスパイス)を炒って香りを出すところからこだわる方もいらっしゃいます。スパイスに関するお問い合わせも毎日のようにいただきますね」

「このスパイスはあるか、みたいな内容ですか?」

「それも多いですが、『こういうカレーを作りたいんですが、どのスパイスが足りないんでしょう』といった質問も増えていますね。作りたいカレーのイメージがあれば必要なスパイスもだいたいわかりますから、弊社ホームページ上にて可能な範囲でお答えしていますよ」

「ゴールが明快な質問ならOKだと。エスビー食品さんがスパイスカレー作りのよりどころになってくれるのは頼もしいですね」

 

さらに広がるスパイスの世界

「エスビー食品さんは海外展開もされているんですか?」

「はい。日本のカレーやわさびなどを海外のお客様にもご紹介しています。弊社グローバルサイトではカツカレーのような日本のカレーレシピを多言語でご紹介しています」

「もともと海外の料理が、日本風にアレンジされて逆輸入されるのは面白い! 日本のカレーチェーンも世界的にヒットしてると聞きますし、日本のカレー、世界でもっと食べられてほしいなぁ。もともと、スパイスも海外から入ってきたもののほうが多いですもんね」

「逆に、海外の方が日本から持って帰るケースも増えると思います。たとえば肉に添えるスパイスは、西洋ではホースラディッシュ。でも、日本でステーキにわさびを添えても美味しいことを知って、自分の国へ帰って真似する……なんてケースもあるそうですし」

「世界規模で『おいしさ』の守備範囲が広がっている、ともいえそうですね」

日本は外国の料理を自分たちの舌に合うようにアレンジするのが得意なので、これからも新しい味が生まれていくんじゃないでしょうか。我々としても、まだまだ新しいスパイスとの出合いがあると思うと、ワクワクしますね」

 

☆記事の最後の画像ギャラリーで、インタビューに入りきらなかったトリビアも紹介しています。ぜひご覧ください!