日本は死がめちゃくちゃ近い国だった? 父と祖父を失い、棺や仏壇をつくる男の死生観

2019.07.18

日本は死がめちゃくちゃ近い国だった? 父と祖父を失い、棺や仏壇をつくる男の死生観

超高齢化社会を迎えた今、日本人は死に対して戸惑っている? 「エンディング(人生の終わりや終活)」を自身のテーマに掲げ、棺や仏壇の共同開発も手がける雑誌『和樂』の高木史郎さんに、死生観と自身の家族について話を聞きました。

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    自分はいつ死ぬのか

    考えたことありますか?

     

    今の時代、「明日、突然死んじゃう」なんてこと、そうそうないですよね。多くの人は、日々生きている中で、「死」について考えること、あんまりないと思います。

     

    しかし、よくよく考えてみると、それは戦後の話

     

    それまでは、たくさんの戦や飢饉に見舞われた戦国時代、江戸時代はもちろん、そのあと明治時代・大正時代、第二次世界大戦のあった昭和まで、日本はずっと戦争をしていました。ゆえに日本人にとって「死」は、生のすぐそばにあったのではないか…。

     

    その仮説を基に「今はみんな、死に対して戸惑っている」と語るのは、雑誌『和樂』の高木さん。

     

    雑誌『和樂』を今の形にリニューアルし、『和樂web』の編集をしながら、関連する商品開発やコンサルティングまで行い、「『エンディング(人生の終わりや終活)』というテーマは、僕のライフワーク」と言います。

     

    “異種格闘技”で出版業を逸脱。ビジネスの幅が広すぎる『和樂』の編集論

     

    前編では、その編集に対する考え方を聞いてきました。後編では、ライフワークとしてのエンディングというテーマと、死生観、その死生観を形づくった“父と祖父の失踪”について、お話を聞いていきます。

     

    入りたい棺がなかったから、自分でつくった

    「前編の最初にもチラッと触れたんですけど、ジモコロに共栄さんを紹介してくれたのが高木さんでした。ありがとうございました!」

    「その節はありがとうございました」

    「共栄さんと一緒に棺をつくろうと思ったのは、なにかきっかけがあったんですか?」

    「共栄さんは変態的な会社ですから」

    「…変態的ですね」

     

    『和樂』と共栄さんは棺の製作でコラボをしている

     

    「でしょう。棺を製造・販売している会社には違いないんですけど、それだけじゃなくて、もうひとつ前の段階から『死ってなんだ』とかっていうことを、一緒に考えてくださる方々なんですね」

    「『そういうのは自分たちの仕事じゃない』ってことを、絶対に言わなさそうな方々でした(笑)」

    「出会いとしては、中国地方で講演会をやらせてもらったときに、共栄さんがいらしてくださって。そのとき、棺のカタログを生まれて初めて見たんです。ふつう棺のカタログなんて見る機会ないじゃないですか」

    「ないですよね」

    「なぜかって、棺って、エンドユーザーまで届かないから。葬儀会社までで止まっているんだってことに、このとき初めて気づいて。当たり前ですけど、僕は、棺に入りたくないんですよ」

    「(高木さんは海にドボーンって捨てられたいんだよな…)」

     

    ※という内容のことを、高木さんは、クラシコムジャーナルのインタビューで語っていた

     

    「でも仮に棺に入るとすれば、自分ってどんな棺に入りたいかな?ってカタログを見たら、入りたい棺がなかったんです。共栄さんのものがいい悪いではなくて、自分の好みに合った棺がなかった。それってすごく不自由じゃないですか」

    「不自由ですね」

    「不自由であれば、やっぱりその選択肢を広げるべきなんじゃないかって話を共栄さんにして。そうしたら、僕の入りたい棺をつくったら、販売してくださるということで一緒にやることになったんです」

     

    日本は、死が身近にあった国

    「『エンディング(人生の終わりや終活)』というテーマって、僕のライフワークなんです」

    「なぜ…エンディングをライフワークとして捉えてるんでしょう?」

    「日本人ってたぶん、応仁の乱から先の大戦まで、一番、死が身近にあった国なんじゃないかと思うんです。それこそ、数百年にわたって、日本は超異常な戦国国家だったわけで。100年くらい戦国時代があって、その後も江戸時代になったって農民は大飢饉にあってますし、武士なんてすぐに切腹なんて世界でした」

    「ホントだ。死がすぐそこにある世界ですね」

    明治に入っても大正に入っても、ずーっと大戦。だからいつ死ぬかわからない国だったんですよ。日本は死が身近だったから、みんな死について考えていたんじゃないかなーと思って」

    「今は、ふつうの日常の中で、死について考える時間ってないですね」

    「第二次世界大戦以降、私たちって、死に対する教育ってことを何かされたのかな?という疑問があって。戦前は、生きることに対して、ものすごく真剣だったと思う。今は、超高齢化社会を迎えて、みんな死に対して戸惑い始めているんです」

    「死に戸惑っている、とはどんな感覚なんでしょう?」

    「今は、終活がちょっとブームになってるんですけど。終活の本を見ても『預金をどうする』とか『お墓をどうする』とか、実用的なことしか書いていなくて。そうじゃなくて、『死にどういうふうに向かっていくのか』っていう、本当の意味での終活が足りないと思うんです」

     

    「本当の意味での終活」

    「本来は、そういう実用的な事柄の前に、死に対する態度を明確にする必要があるんです。それを明確にしない限り、安楽死の問題や、身体に管や機械を詰めて生きることをどう捉えるかって、答えが出ないんですよ」

    「今は、死はタブー視されてる印象です」

    「そうですよね。だからこそ『和樂』として、『死めくりカレンダー』で有名な方の死に関する名言を集めているんですよ」

    「日めくりカレンダーじゃなくて、『死めくりカレンダー』?」

    「共栄さんとコラボして、365日分の偉人の死に関する名言を集めたカレンダーを制作中なんです。たとえばアインシュタインだったら、『死とは何か?』って聞くと『モーツァルトを聴けなくなることだ』って言ったらしいんです」

    「めちゃくちゃカッコいいですね…。自らにとっての死と向き合ってる感じがします」

    「そういう言葉があると、自分にとって死とはなんだろうって考えさせられますよね。そういう意味での、本当の終活をやりたくて」

    「本当の終活」

    「実際、現在の葬儀を始めとしたエンディング関連ビジネスって、亡くなったあとのビジネスなんです。そうじゃなくて、本来はもっと、生きてるうちに考えることのほうにビジネスとしての可能性もあるんじゃないかなと考えています」

    「それって、『和樂』としてというよりは、高木さんの個人的な関心が企画の動機になっているということですか?」

    「もちろん個人的な動機も大きいんですけど。『和樂』は『日本文化の入り口マガジン』です。死って、誰もが迎えることですよね。日本文化の入り口を考えたときに、誰もが迎えることになる死に対する入り口でもありたいという気持ちなんです。その小さな第一歩が『棺つくろう!』みたいな(笑)」

    「なるほど! そこがつながっていくんですね」

    「はい。仏壇屋さんの知人が多いので、最近は、仏壇のビジネスも考えています」

    「今度は仏壇!」

    「昔の仏壇って、仏像彫刻もありましたし、いろいろおもしろい動きが生まれ始めているんです」

     

    祖父と父の蒸発、そして高木さんは…?

    イーアイデム

    この記事を書いた人

    くいしん
    くいしん

    インタビュアー、編集者、ライター。1985年、神奈川県小田原市生まれ。音楽誌編集者、webディレクターを経て、現在はくいしん株式会社代表。宇宙とハワイが好き。最近は総合格闘技にハマっている。

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