志村正彦の富士吉田愛

今回の取材をするにあたって、ジモコロと富士吉田をつないでくれたのが、斎藤和真(さいとう・かずま)さん。

フジファブリックが好きで富士吉田に移住してきた熱心な志村ファンで、2015年に開催された「路地裏の僕たち上映会」も彼がきっかけで開かれることになった。

 

志村さんは、ライブで『山梨県の富士吉田市から来ました』ってよく言っていたので、ずっと気になっていた地域だったんです」と和真さんは言う。

 

同級生である雅人さんにしてみてもそれは同じで、志村さんの地元愛を知ったのは上記のようなライブMCによるところが大きい。

 

「ふつうだったら山梨とか富士吉田とか言わないですよね(笑)。田舎だしさ、山梨恥ずかしいみたいな。だけどあえて、ちゃんと言ってたから、この町を愛してたんだなって、あとになってわかりました」と語ってくれた。

 

そんな彼ら同級生にとって思い出深いのが、先にも少し話題に挙がった3rdアルバム『TEENAGER』ツアーの追加公演だ。富士五湖文化センターで行われた凱旋ライブは、志村正彦の夢がふたつ詰まっていた。

 

ひとつは、山梨でやるには富士五湖文化センターで必ずやりたかったということ。山梨県内の他の場所からもオファーがあったが、志村さんはそれを断り、富士五湖文化センターでやることにこだわった。中学生の頃、合唱コンクールで発表をした思い出の場所だったからというのが理由だ。

 

もうひとつの夢は、身内で固まったライブじゃなくて、ファンを呼んでソールドアウトさせたかったということ。雅人さんはそのときの思い出をこんな風に語る。

 

「僕は、本人から仲間を呼んでくれるんじゃないかと思って、勝手に待ってたんですよ。でも連絡が来なくて。『なんだあいつ!』って思ってたんですけど(笑)。

結局は直前に、本人にお願いしていけることになったんですけど(笑)。そうしたら『今日は夢が叶いました』と言ってて、『うわー、かっけー!』ってなっちゃいました(泣)」

 

そんな意図があって地元の仲間たちにも声をかけなかった志村さんは同時に、周りの仲間や家族に多くのことは語らず、あくまで音楽で魅せることにこだわっていたのかもしれない。

 

「下吉田てくてくMAP」を持って町を散策

凱旋ライブでは、志村さんが自作の富士吉田の地図を描き、来場者に配布された。やはりここでもその地元愛に感心させられる。「路地裏の僕たち」はその志村さんの自作地図をベースにして、『下吉田てくてくMAP』をつくり、配布した。

 

マップにあるお店やスポットは、志村さんがよく行っていた場所や同級生のお店といった、ゆかりのある場所がまとめられている。ファンは、これを見て町を散策するのだ。

 

 

たとえば、現在は空き地になっている、『陽炎』に出てくる駄菓子屋と思われている場所。

 

志村さんが通っていた『下吉田第一小学校』。

志村さんが少年時代に野球をしていたのもこの学校の校庭だ。『記念写真』の歌詞に出てくる校舎もこの小学校のものと考えられている。

 

そして、校舎の裏にちらりと見える五重塔が、戦没者を慰霊した忠霊塔。

「浮雲」の中で「いつもの丘」と歌われる場所で、これに関しては志村さん自身が、忠霊塔であることを公言している。

 

この日は夕方に、忠霊塔に登る時間をもらうことができた。

 

頂上付近にある展望台からは、富士吉田の市街地と富士山が一望できる。

 

忠霊塔は「japan」とGoogle検索をすると最初に出てくる風景としても有名だ。

 

この日も、平日にも関わらず国内外から訪れた多くの観光客で賑わっていた。

 

最後に、路地裏の僕たちの今後の活動予定について聞いてみると一史さんは雅人さんを指して「それはもう、こいつのモチベーション次第なんですよ」と笑う。そこで雅人さんが「実は……」と話してくれた。

 

「来年は正彦が亡くなって節目の10年になるので、何かやれたらいいなあと思っています」

 

 

富士吉田の四季の彩りの美しさ

こうして町を歩いてみて感じたのは、富士吉田の四季の彩りの美しさだ。取材は11月で秋の紅葉した枯れ葉が舞っていたが、冬には気温は氷点下に達し、富士吉田は深い雪に包まれる。

 

フジファブリックの音楽は、季節の描写が美しいことが特徴のひとつ。特にメジャーデビューから4枚のシングルは「四季盤」と呼ばれ、それぞれ以下のように四季が描かれている。

 

・春盤→1stシングル『桜の季節』
・夏盤→2ndシングル『陽炎』
・秋盤→3rdシングル『赤黄色の金木犀』
・冬盤→4thシングル『銀河』

 

湖や山の大自然に囲まれ、富士山が一年中大きく目に飛び込んでくる町。春は桜がきれいで、夏は海抜が高いので太陽が照りつけ、だからこそ陽炎が浮かび、秋には赤黄色の金木犀が咲き、冬は白銀の世界。

 

富士吉田に足を運んだことで、フジファブリックの世界観は志村さんが富士吉田で生まれ育ったからこそ描かれたものだったんだと、腑に落ちて、胸が熱くなった。

 

2019年にデビュー15周年を迎えるフジファブリック

茜色の夕日に包まれる富士吉田の町で、僕らは富士吉田の路地裏へと去る。

 

忘れてはいけないのは、何より僕らにとって幸福なことは、今もフジファブリックというバンドが活動を続けていることだ。2019年で、フジファブリックはデビュー15周年を迎える。

 

人は誰しも死んでしまう。だからこそ、大切にすべきなのは、紛れもない今。

 

生きていれば待っている素敵な日々のために、志村正彦とフジファブリックの音楽を、いつまでも忘れることはできないな、と想う。

 

photo by shohei ishida(志村さんの写真)

 

写真:小林直博