こんにちは!

 

台湾でフリーのライターをしているピギーです。

 

台湾といえば、何を思い浮かべますか?

 

誰もが写真で一度は見たことがありそうな幻想的な九份の赤ちょうちんや、夜市で食べる魯肉飯、映画『ワイルド・スピード』の滝のようなバイクを思い浮かべる人もいるかもしれません。

 

台湾は22の県と市からなる小さな島ですが、それでも地域ごとに異なる趣と個性を持っています。

 

 

しかし、そういった魅力もガイドブックではまだまだ十分に紹介されていないと感じるのが台湾人として悔しいところ。

 

日々、どうしたら魅力をもっと伝えられるだろうと考えているのですが、ひょんなことから仕事を通じて「市場」のことを知る機会を得ました。

 

台湾の「市場」と聞くと、「夜市」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、お肉や野菜などの生鮮食品を買うことができる昔ながらの「伝統的市場」のことも忘れてはいけません。

 

 

台湾では、夜市と伝統的市場というふたつの市場が昔から地域社会の心臓として機能してきました。そして実は現在、台湾の「市場」は各都市のアイデンティティを見つめ直す地方創生の最前線となっています。各都市に住む若者や行政が、自分たちの新しい伝統と文化をつくるために「市場」を舞台に様々な取り組みを行っているのです。

 

そこで今回、「市場」をテーマに台湾の各都市の魅力に迫る連載をできないかと考えました。

 

先日参加したプロジェクトの一環として、市場の中で行われたDJイベント

 

今回の連載では4つの都市をまわる予定ですが、まずは台湾の中心地「台北」からお話をスタートします。

 

高層ビルが立ち並び、デパートが延々と続く商業の中心地。先進的なレストランやバーも他の地方に比べ圧倒的に多い街です。台北で生まれ育った私は、地方出身の方に漫画『ONE PIECE』の世界になぞらえて「天竜人(台北っ子)」と呼ばれることがあります。

 

台北の土地の値段は今や東京と同じか、それを超えるくらいに

 

流行の始まりが台北で始まることも多く、他県、特に嘉義(ジャーイー)や、台南、高雄などの南部で育った人たちは、台北の生活は最先端で、輝いて見えることもあるようです。しかし、そんな台北でも、他の都市と同じようにあちこちで時代の埃や沈殿物を見つけることができます。

 

そんなエリアのひとつが、今回紹介する「萬華(ワンホワ)区」です。

 

台北駅からMRT(地下鉄)の青い路線でたったの2駅。駅を降りれば目の前には龍山寺という台湾で最も古いお寺があり、そこを中心に街が広がっています。日本でいえば浅草のような場所と言えば伝わるでしょうか。

 

 

およそ100年前の日本統治時代、この場所から台北の都市開発は手がつけられました。ですが、現在は台北の中心は徐々に東に移ってしまい、萬華に残されたのは日本時代の低層住宅や古い市場など、時代を強く感じさせるものばかり。

 

かつて「万年の栄華」を意味した萬華は今では都市開発から切り離され、旧市街の下町として百人百色の人生の温床となっているのです。

 

道端で将棋に似たボードゲーム、シャンチーが毎晩繰り広げられている

 

実は最盛期に、萬華地区のコミュニティを強く結びつけたもののひとつが、食品や日用品など日常の買い物を支える伝統的市場でした。人々のライフスタイルの変化や、スーパーマーケットの台頭によって昔ほど強い影響力はなくなったものの、現在も、この地域の生活は大小さまざまな古きよき市場に支えられています。

 

街の均質化が課題となってきた昨今。他のエリアと似たりよったりなチェーン店が街にできることで、そのエリアの「らしさ」を失ってしまうことが台北でも問題になっています。そういった流れを食い止め、魅力を維持・創出するための実践がこの歴史ある萬華の市場で行われているのです。

 

今回は、台湾のローカル事情に詳しい編集者・キュレーターのBrianさんをお招きして、萬華のエリアを回ります。古い信仰が残り、新陳代謝の鈍くなった街で今、市場を中心にどのような取り組みが行われているのでしょうか?

 

話を聞いた人:黃銘彰(Brian)

嘉義生まれ、進学のため18歳で台北に移住し、12年間台北で青春時代を過ごした。『The Big Issue Taiwan』、『VERSE』エグゼクティブ・エディター、2022 Creative Expo Taiwanのキュレーターを務め、長年にわたり台湾のローカルカルチャーを観察し、執筆活動を続けている。

 

萬華は温かさに包まれた台北の魂

台北は、世界から見れば先進的で近代的な都市ではないかもしれませんが、首都として、台湾の多くの人々の憧れの場所となっています。

 

嘉義出身のBrianは、大学へ進学するために18歳の時に台北に移り住みました。それから10年以上をこの街で過ごしています。

 

彼が通っていた〈台湾大学〉は台北市の東側、最も物価の高い「大安区」にあり、文化の香りは高く、路地にはカフェや書店をたくさん見つけられます。信義ショッピングエリア(台北101の周辺)にも程近く、観光で訪れたことがある人も多いかもしれません。

 

大学を卒業し、ビッグイシューへの就職後、萬華を訪れる機会が増えたというBrian。彼が学生の時に初めて訪問した際は、サンダルを履いて屋台を経営するおじさんや、平日の昼間なのに道端の屋台でビールを飲むお兄さん、夜は暗い路地にあるスナックのネオンサインなどが目に飛び込んできました。その時に感じた生々しい空気は、Brianにこれまでにない台北のイメージを植え付けたようです。

 

萬華の名物「艋舺夜市」は毎晩多くの地元民で賑わう

 

台北っ子である私にとっても、萬華の表情や空気は唯一無二。現在進行系の都市の再開発により、台北の多くのエリアは古い家屋が高層ビルに取って代わられていますが、萬華にはまだ、台北の都市の原型が残っているとBrianは言います。

 

「萬華で、特に印象に残っていることはありますか?」

「初めて訪れた時、台北はこんなにも活気のある場所なのだと感動しました。萬華は一歩路地に入ると、台北の他のエリアとはまったく違う風景が広がります。それらは時代の変化に取り残されてきたものですが、そういったものがこの場所にいくつも残されていて、ある種守られてきたとも言えると思うんです」

 

路地をひとつ入ると、昔ながらの露店が広がる

 

「わかります!例えば艋舺夜市の中に30年以上の歴史を持つステーキ屋がありますね!週末は家族連れやカップルで賑わっていますが、それはもう台北の他のエリアであまり見かけられないような光景です。また、古くて改装されていないゲームセンターも、まだまだ多く残っています」

「そう、萬華にはいろいろな生き方が残されている。だから、屋台で営業しながら雑談したり、営業時間と関係なく『お客さんがいない』とシャッターを下ろすオーナーさんがいたり、そういう自由さにつながっているのかなと。この場所には『他の人を気にせず、自分のペースで生きていいよ』という雰囲気で満ちていますね」

 

ゲームセンターには夜な夜な人が集まっている

 

「それは少し前の時代にはこの場所がいわゆる夜の街、歓楽街だったことも影響していそうですよね。そのことで『萬華の雰囲気は怖い』と、若い人がなかなか足を運びにくかったりもしていますが」

「実は、僕もそんな思い込みをしていた一人でした(笑)。『The Big Issue Taiwan』で働く前は訪問する機会も少なくて、勝手に怖い印象を持っていたんです。ですが、この場所に来ると、昼間でも気楽にビールを飲んだり、サービス業なのに友達と話すように冗談を言いながら接客したり、『大安区』では出会えないような生活が見えてきて、台北にはいろいろな生き方があることに気づくことができたんです」

 

まだ路地裏に残るスナックやお茶屋(いわゆる夜のお店)

 

「そうして少しずつ、萬華で過ごす時間が増えていく中で気がついたことはありますか?」

「ありきたりな言い方かもしれませんが、このエリアは人と人の距離が近いですね。萬華では他のエリアに比べて『会話を始める』ことが簡単で、 買い物に行くと必ず誰かに話しかけられます。その結果、どこに行っても知り合いができる。地域のコミュニティがしっかりと残っている場所だということを感じます」

 

「台湾は全体的にそうじゃないですか?(笑)」

「実は、僕が住んでいた大安区ではあまりそういう体験がなかったんです。都市開発が目まぐるしく進み、どんどんと便利になっていく台北において、萬華はとても優しく寛容な場所であり続けていると思います。『おしゃれで派手な必要はなく、快適で庶民的でもいい』、台湾の古き良きライフスタイルを残している数少ない場所です」

 

時代が変わっても、市場は古びることがない

「一府二鹿三艋舺」という言葉はご存知でしょうか? 知らない台湾人はいないほど有名な言葉なのですが、府は現在の台南で、鹿は彰化(ジャンホワ)にある鹿港、そして艋舺(バンカ)は萬華の旧称を意味します。これは、台湾の政治や経済は南から発展し、18世紀以降はだんだん台北の萬華に移り変わっていった、という台湾の都市開発の歴史を示しています。

 

 

さらに、1895年以降の日本統治時代に、日本政府は台北に行政機関を設置することを決めました。そして、衛生管理のために日本政府は公設の市場を設立していきます。当時台北の中で最も栄え、すでに露店が多く賑わっていた萬華はその第一候補にされました。

 

そんな萬華の隆盛の象徴となったのは、換気設備や排水機能が整った台湾初の屋内市場、新富市場です。1935年に完成して以降、高級な市場として隣接する東三水市場と一緒に地域住民に愛される形で大変な人気を博しましたが、第二次世界大戦を経て、1980年代以降のスーパーマーケットの台頭に直面。その他多数の市場と同じように、次第にその規模を縮小させて現在に至りました。

 

新富市場がオープンした際の写真

 

しかし、市場には今でも地域において大切な役割があるとBrianは語ります。一度は時代の波に押し流されてしまった市場が、現代においても大切な理由はなぜなのでしょうか?

 

「先程、Brianは『寬容』という言葉を使って、萬華について話していましたが、それは例えばどういうものでしょうか?」

「中国や台湾の他の地域からの移民を受け入れて成り立ったのが萬華というエリアです。そのことが今の、街の生き方の多様さにつながっていると思うんです」

「ニューヨークというと少し大げさですか?」

「そこまでは言えませんが(笑)、多民族が混在して暮らしている町ならではの雰囲気は足を運んでもらえれば感じられると思いますよ。龍山寺、清水祖師廟、大龍峒保安宮という萬華の有名な三大廟(寺院)も、元は信仰の異なる移民がつくったものですしね。これらのお祭りでは、台湾語(古い現地の言葉)もたくさん聞くことができます」

 

その他にも「艋舺青山宮」など大きな廟がいくつもある

 

「そしてそれぞれの廟が、移民が集まって街を形成するための拠点になったんですよね」

「そうです。つまり廟は自分たちと同じ民族を集めるための旗のような役割。これを点と考えると、点在する一つひとつの拠点をつなぐための線が『市場』だった」

「なるほど、そうして人々の生活圏が広がっていくわけですね」

「生活圏が形成されたら、同じコミュニティの仲間として隣人同士の関係が築きやすくなるでしょう? そして生活圏が広がっていくことで、様々な文化が混ざり合うことができる。私はいつも、市場は住民の帰属意識が集積する場所だと考えています

「おばさんたちの噂話の場としてですね(笑)」

 

「市場には、まだまだそうしたかけがえのない役割があるので、文化資産である市場をどのように保全し、残していくかという議論が台湾では盛り上がっていますよね」

「Brianにも『市場があってよかった」と感じる個人的な体験はありますか?」

「小さい頃、おばあちゃんとよく市場に行ったのを覚えています。一番印象的だったのは、おばあちゃんが市場の人たちみんなと顔見知りだったこと。お互いに挨拶をして、お店の人たちが『今日は何を作るんだい?』、『お父さんの誕生日? おめでとう』といった具合に話しかけてきたんですね」

 

「それは一言でいえば、人情味があるってことですよね」

「そうですね。市場は人と人をつなぎ、自分が『その場所で生きていること』を実感させてくれる場所だと、その時に感じたんです」

「話を聞いていると、スーパーと市場は全然違うものに思えてきました」

「市場に足を踏み入れると、お互いの温もりが安心感を与えてくれる。大人になってから、ひょんなことから再び市場に行くことができて、子供の頃の感覚が蘇ったんです」

「私もそういった思い出があります。子どものころお母さんと一緒に市場に行った時、いつもプレゼントをもらえましたし、お店の人はみんな優しかったことを覚えていますね。その場所に住む一人として受け入れられていました」

 

「これはほとんどの台湾人が感じたことがある感覚だと思います」

「でも今、若い人があまり市場に行かないことが課題になっていますよね?それについてはどう考えていますか?」

「それは『きっかけの問題』だと僕は思っていますね」

「きっかけというのは?」

「『市場は面白くて魅力的ですよ』と声を張り上げても、若い人にはその価値は伝わらないんです。便利なスーパーがすぐ近くにありますから。若い人が実際に市場まで足を運びたくなるイベントとか、訪れるための理由を作ってあげることが重要だと思いますね」

「そうした市場を外に開く取り組みを頑張っている市場について、今日聞きたかったんです。編集者として台北のローカル情報に詳しいBrianが注目している場所なら、間違いないと思って(笑)」

「龍山時の駅のすぐ側にある『U-mkt(新富町文化市場)』の取り組みは好例だと思いますよ。彼らはよく展覧会やワークショップなどのイベントを実験的に行ったりしています。最近は、活動している施設の中に昼飲みのスペースを作ったりして、近隣の人や、台北の若い人が集まる口実をうまく作っていますね」

「昼飲み!台湾ではなかなか見かけないですもんね。では、そこに行って話を聞いてみましょう!」

 

市場から考える、台湾の未来