日本最古級の映画館が長野にあった!「相生座・ロキシー」の愛され続けた130年

2022.08.22

日本最古級の映画館が長野にあった!「相生座・ロキシー」の愛され続けた130年

長野県にある日本最古級の映画館「長野相生座・ロキシー」。約130年近く前に建てられた建物でいまもなお、多くの人に映画と感動を届け続けています。100年以上の長きに渡り、映画館が愛され続けてきた理由と、映画館が見てきた街の歴史を伺いました。

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    映画だけじゃない? 開館当初は市民ホールのように使われていた相生座

    次にお話を伺ったのは、長野郷土史研究会で青年部長をつとめられている小林竜太郎さん。なんでも、長野相生座・ロキシーの歴史には、こんなにおもしろいポイントがあるのだとか……

     

    長く愛されてきた長野相生座・ロキシーは、一体どんな場所だったのか? 詳しく、お話を伺いました。

     

    小林竜太郎さん/長野郷土史研究会 青年部長

    1977年生まれ、長野市出身。長野郷土史研究会から出版される雑誌『長野』の編集を担当。2017年、長野相生座・ロキシーと権堂のまちの歴史をまとめた著書『長野のまちと映画館 120年とその未来』を出版した。

    「ということで田上さんからご紹介いただき、お話を伺いにきました。よろしくお願いします!」

    「いやぁ〜、街と映画館の歴史に興味を持ってくださって嬉しいですねぇ。私は相生座を世界遺産にしてもいいんじゃないかと思っていますから」

    「ものすごい熱量!」

    「ナカノさん、相生座が建てられたのは明治25年ということはご存じですか?」

    「はい、建物の歴史はもう130年を超えるとか」

    「そうなんですよ〜。活動写真の上映からはじまり、はじめて映画上映されたのは今から125年前。当初は千歳座という名前の芝居小屋からスタートしたんですよ」

    「最初から映画館ではなかったんですね!」

    「はい、実は私の祖父が千歳座時代の写真を所有していたんです。ほら!」

     

    小林さんの著書『長野のまちと映画館120年とその未来』の裏表紙

    「わ、すごい歴史を感じる写真……!」

    「入り口の上に掲げられているのは、おそらく芝居の出演者の名前ですね」

    「なんとなく建物の面影があるような気もしますが、今の外観とはだいぶ違いますね」

    「ええ、相生座は何度か改修工事をおこなったんです。第二次世界大戦の直前には、善光寺の納骨堂である雲上殿の建築技師が設計した仏閣型に改修されたとか」

    「仏閣型の映画館なんておもしろいなぁ」

    「ただ、戦争がはじまりあまり活用されないまま、また改修されてしまったんです」

    「幻の姿だ……」

    「ええ。それから、相生座は芝居小屋からスタートして映画の上映もおこなっていたみたいですが、明治から大正にかけては貸し館や芝居小屋としての使用がメインだったんです。権堂の街はかつて花街としても栄えていましたから、芸妓さんが踊りを披露したり、はたまた政治の演説会場、道路開通のイベントにも使用されていたみたいですね」

     

    明治末期の権堂の人々
    写真出典:『長野市権堂町史』(権堂町公民館、1993年)

     

    「へえ! 幅広く活用されていたんですね」

    「そうです、民間の施設でありながら、今でいう公共ホールのような役割を果たしていたと考えられますね」

    「なるほど!」

    実は長野県で初めてプロボクシングの試合をおこなったのも相生座だったとか!」

    「プロボクシングまで!?」

    「これは文献が残っていないので定かではないですが、あの美空ひばりさんもこのステージに立ったという話も、前の支配人さんから聞いたことがあります」

    「昭和の大スターも! 歴史があるからこそ、文献には残っていない知られざるエピソードがたくさんありそう……」

    「もしかしたらあるかもしれませんね(笑)。ちなみに、昭和24年に発行された権堂商店街周辺の鳥瞰図なんてものもあるんですよ! 当時の街の様子がよくわかりますよね」

     

    かつて描かれた、長野市内の鳥瞰図。周囲の劇場やホテルと比べても、相生座が大きく描かれていることがわかる
    出典:『長野のまちと映画館 120年とその未来』(光竜堂、2017年)

     

    「今でもあるお店もあっておもしろいなぁ。相生座の建物が大きくて目立ちますね!」

    「それだけ当時から長野の人たちにとって相生座の存在感は大きかったんでしょうねぇ」

     

    映画館のある街の移り変わり

    「相生座の田上さんは『かつて長野駅前よりも権堂が栄えていた』とおっしゃってましたが、本当にそうだったんですか?」

    「そうそう、権堂の街は大正の終わり頃から栄えて。きっかけは、長野電鉄が開業したからなんですよねぇ」

    「長野電鉄は長野駅から湯田中駅までをつなぐ私鉄ですよね。私も権堂商店街や長野駅に行く時によく利用します」

    「はい。鉄道が開通したことで近隣の須坂市や中野市方面の方々の足となり、権堂がにぎやかになったんです。相生座に映画を観にやってくる人もそのタイミングで増加したんじゃないかな」

    「鉄道の登場で人の流れがガラッと変わったんだ」

    「しかも、鉄道の開通から2〜3年は、現在の始発駅である長野駅まで用地改修の関係で線路が伸びておらず、権堂駅が始発駅だったんですよ」

     

    長野電鉄の開通により権堂駅周辺の地価も2〜3倍あがった。
    写真出典:『長野市権堂町史』(権堂町公民館、1993年)

     

    「それも権堂が栄えた一因に?」

    「ええ、そう考えられますね。ただ、その賑やかさも百貨店の発展により、昭和30年代をピークに減少していくことになります

    「百貨店というと、今は 『ながの東急百貨店』が長野駅前にありますよね」

    「そうです。今や長野市にある百貨店はあそこだけになりましたが、ほら、相生座の近くにカラオケ店があるでしょう。元々あそこには丸光百貨店という長野県下初の百貨店がはじまった場所なんですよ」

    「えー! そうだったんですね!」

    「といっても、最初はみなさんが想像するような大型施設ではなく、小規模なものでした。昭和20年代半ばに生まれた丸光百貨店は、昭和30年代になると権堂から昭和通りに移転し拡大しました。道路の向かい側には競合店の百貨店『ながの丸善』、さらに昭和40年代に入るとデパート並みの大きさの『ダイエー』や『長崎屋』など大型店が軒を連ねていたんですね」

     

    現在の位置関係。丸光百貨店はのちに「そごう」になり、現在は商業施設「TOiGO」になった

     

    「百貨店ウォーズだ! こうやって街の繁栄は、権堂から次第に長野駅方面へと移動していったんですね」

    「ええ。中央通りに大型店が栄えていた頃、とても華やかな雰囲気だったことを覚えていますよ」

     

    相生座が生き残れたのは「1つの劇場を壁でぶったぎった」パワー戦略?

    「これだけ街の移り変わりがあっても、相生座が生き残れたのはどうしてなんでしょうか?」

    「いくつか理由があると考えられますが、私はスクリーン数を増やしたことが大きいんじゃないかと思っています」

    「あ、今は相生座とロキシー1、2の全3スクリーンありますもんね」

    「そうです、そうです。元々相生座とロキシー1はひとつの劇場だったんですが、壁をつくることでふたつの劇場にしたんですね

    「1つの劇場をふたつにぶったぎった!? すごいパワー戦略だ」

    「でしょう! たしかによく見てみると、相生座もロキシー1も細長い形をしているんですよね」

     

    全176席の長野相生座

    「言われてみれば細長いですね」

    「1ヵ月間の工事であっという間に劇場を区切る壁をつくっちゃったみたいですよ」

    「すごいスピード! スクリーンを増やしたのは、動員を増やすためですか?」

    「ええ、スクリーンが増えると作品数も動員も増やせますからね。実は、全国的に見て日本の映画館って昭和33年が動員数のピークだと言われています。昭和30年代後半になると映画を観にくる人はガクッと落ち込みました。なぜだと思いますか?」

    「昭和30年代……想像できないなぁ」

    「テレビや他の娯楽の普及が影響しているんですね」

    「なるほど、テレビか!」

    「はい。この大きな文化の変化がどれだけ映画館にとって不況の時代だったか。昭和40年代には市内にあった13館の映画館のうち、7館が閉館してしまいました」

    「半分以下に! その中で、相生座は劇場数を増やす選択をして生き残ったということですか」

    「そうですね。さらにその後、昭和59年に劇場に併設されていた雀荘を改装して、ロキシー2をつくりました。それでようやく、現在と同じ3スクリーン体制になったんです」

    「ロキシー2は元々雀荘だったんですか! それもおもしろい話だなぁ」

     

    「あと私は、もしも相生座が長野駅前にあったら、存続していなかっただろうなと思っているんですよ」

    「それはどうしてですか?」

    「相生座のような木造建築は改修や維持費にお金がかかりますし、今でこそ栄えている長野駅前周辺は地価が高いですから。古い建造物って再開発によって残りにくいんです」

    「相生座が権堂につくられたことも、振り返ってみると長く続くために重要な要素だったんですね」

     

    ハリーポッター旋風?! そして、デジタル機材への移行

    「そうそう、相生座にとっての転換期と言えば、松竹さんとの関係も大きいかもしれませんね」

    「配給会社の松竹ですか?」

    「そうです! かつて相生座は、松竹株式会社によって劇場運営されていた時期があったんですね。ですから、松竹系の新作映画は長野市内だと相生座で上映されていたんです。例えば『釣りバカ日誌シリーズ』や『男はつらいよシリーズ』、『ハリーポッターシリーズ』も上映していたんですよ」

    「ハリーポッターも! きっと当時、話題になったんだろうなぁ」

    「その後松竹との契約が終わり、同時期に田上さんが相生座に関わるようになりました。『ここは映画のセレクトがいいよね』って街のみなさんの声をよく耳にしますし、相生座ブランドがしっかりと継承されているのは、やはり田上さんの手腕によるところも大きいですよね。この先も相生座は、人々が映画を楽しむための場所として必要だと確信しています」

     

    外観の看板には松竹の名称の名残も。

    相生座は長い歴史の中で松竹との契約を結び、話題作のロードショー上映を行っていました。一時期は時代劇をメインに制作していた「大映」との契約を結んだこともあったのだそう。

    文化の移り変わりによる映画不況を乗り越えてきた相生座。

    田上さんに相生座の支配人に就任してからの状況を伺うと、

    「フィルムからデジタルに移行した2010年前後は経営は厳しかったですね。上映の機材を導入するのに1台800万円ほどしましたから。もちろんコロナ禍によって動員は減少しましたが、ちょうど『パラサイト』を上映していた時期で思っていたよりも多くのお客さんに足を運んでいただいたんです」

     

    とのことでした。「フィルムからデジタルへの移行期に閉館を選ぶ映画館も少なくなかった」と田上さんは言います。

     

    「こうやってお話を伺うと、相生座は本当に街の繁栄や文化の移り変わりなどいろんなできごとを乗り越えて続いてきたんだなと改めて思いますね」

    「いやぁ、本当にそうですね。実はここ数年で相生座について新たな発見がありまして!」

    「どんなことがわかったんですか?」

    「専門家の方に建物を見てもらったところ、屋根の梁の組み方が明治中期の手法であることがわかりました。当初の骨組みがそのまま残っていることを、立証していただいたんです」

    「なんと! 何度も改修はされたけど骨組みは当時のままだったんですね」

    「ええ。それに『これからもこの建物は長く残していけますよ』とのお墨付きもいただきました。これは非常に大きなできごとですよ」

    「すごい。この先も150年、200年と続いて、相生座には今後も街を見守る存在になってほしいですね」

     

    おわりに

    130年に渡って権堂商店街の歴史と共に歩んできた相生座。この先はどんな展開になるんでしょう。田上さんは、今後の相生座について語ってくれます。

     

    「自分より若いスタッフが入ってきてくれた今、彼らを鍛えていかねばと思っています。変わらないスタンスとしてはお客さんと近い距離感で、オープンで謙虚にお仕事ができたらいいですね」

     

    「実は、相生座の客層は5年ごとに変わっているんです。映画を観なくなったり、お亡くなりになる方もいらっしゃいますし、たまたま長野に嫁いできて足を運んでくださる方もいます。たしかに、5年経つと生活って変わりますもんね」

    人々の暮らしや街の流れが変わる中で、同じく変化をし続けた相生座。
    これからも権堂の街のシンボルとして歴史を刻み続け、自分の子どもや孫の代まで愛される存在でいてくれることを願っています!

     

    おまけ

    取材を通して知った長野相生座・ロキシーの歴史は、変化に富んだとても面白いものでした。そこで、編集部で歴史年表にまとめてみました。ぜひ、長野の歴史や日本の歴史と照らし合わせて、楽しんでみてください。

     

     

     

    ☆この記事はエリア特集「信州大探索」の記事です。

    【2022年】長野県の機運が高まりすぎたのでエリア特集「信州大探索」をはじめます

     

    撮影:内山温那

     

     

    イーアイデム

    この記事を書いた人

    ナカノヒトミ
    ナカノヒトミ

    1990年長野県佐久市出身。2017年よりフリーライターとして活動を始めた。どこでも地元メディア「ジモコロ」などウェブメディアを中心に執筆を行う。2018年4月に「やってこ!シンカイ」の店長になり、佐久市から長野市に引っ越す。2020年に出産し子育て&仕事の日々。

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