こんにちは、松本潤一郎といいます。真ん中にいるヒゲの男が僕です。

静岡県にある伊豆半島の西側で、山に軸足を置きながら古道を再生したトレイルを走るマウンテンバイクツアーや、自分たちが整備する山から伐り倒した木材でリノベーションした宿「LODGE MONDO -聞土-」を経営しています。

 

以前にジモコロで取材してもらった記事もあるので、ぜひこちらも読んでもらえるとうれしいです。

 

2020年がスタートしたと思ったら、中国から新型コロナウイルスの感染が広まり、あっと言う間に世界中へ広がって行きましたね。

世界の大変革がこんな形で訪れるとは、だれもが想像できなかったのではないでしょうか。

 

かく言う自分もあっという間にほとんどの収入を絶たれ、目の前に現れた膨大な時間をどうやって過ごすか……というより、これからどうやって生きていくかを突きつけられているような気がしています。

 

6人家族の食費をまかなうため海で食糧調達を始めたり、子どもに山の整備の仕事を体験させたりと、思い切って仕事を止め、生きることと働くことに本気で向き合った日々について紹介します。

 

突然にはじまったゼロ収入の日常

普段から伊豆の山へ入り、使われなくなった古道を直すことをしています。土に埋まった馬頭観音を掘り起こしたり、昔のお金である寛永通宝が出てきたりするので、100年〜200年前のことが割と最近のことのように思えたりもします。

 

ほんの少し前までは人や馬で陸の移動が行われていて、海を渡るのにも船を使うことしか方法がなかった。そんな時代から比べると、この半世紀くらいで一気に飛行機で人と物とが地域や国を跨いで動くようになった現代の社会は、古道が現役だったころからすると音速で物事が進んでいるようなものなのかなと、考えてみたり。

 

その現代のスピードに乗っかって世界中に広まっていった新型コロナウイルス。影響を受けていない人は世界で誰もいないでしょうけれど、自分たちの事業もすべてがストップしてしまいました。

 

まず、経営している宿泊施設・ロッジモンドが真っ先に影響を受け、2月からインバウンドの宿泊客が減り始めました。そして、3月後半に東京都で1日に40名の感染者が出た時点で、自主的に宿を休業。家族や少ないスタッフで運営しているので、目に見えない不確かなリスクはひとまずは回避しようと考えました。

 

山の中で一日中過ごすマウンテンバイクツアーは比較的感染リスクも低いだろうと判断し、4月のはじめまでは営業していました。しかし、そちらも早めの休業を決め、これで完全にゼロ収入が確定。

 

子どもは7歳の小学2年になる長女から末っ子の1歳児まで、4人も「密」にいるし、宿を購入した借入の返済やスタッフのこれからの仕事だってどうにかしないといけない。さーて、どうやって乗り切りますかね!

けれど、いまはとても充実していて、この生活が楽しくて仕方がありません。

 

土地のもので暮らし、そこにあるものと向き合う時間

たまたま、自分たちは幸運でした。

首都圏から見ると身近な観光地のひとつである伊豆半島は、ゴールデンウィークから夏をピークにした時期が最も収益が上がる季節。しかし、僕のメイン事業でもあるマウンテンバイクツアーは1年を通して開催しています。

なぜなら、特に冬場は温暖な伊豆の気候のために積雪もほとんどなく、オフシーズンというものがないから。国内では冬季にクローズするマウンテンバイクのフィールドが多いので、日本中からゲストが訪れてくれます。

 

他にも、古道の周囲にある手入れがされていない山の森林整備の仕事もしていて、これも年度末である3月にまとまったお金が入る。だから、コロナが流行し始めた時点で、ある程度のキャッシュが手元にあったんです。

 

この機会に、コロナの状態に合わせた仕事の仕掛け、例えばオンラインストアを充実したり将来に使える宿泊券の販売を打ち出したりする道もあったと思います。でも、そうではなく、普段あまりできていなかった自分たちが住む伊豆という環境に、家族と一緒にとことん向き合ってみることにしました。

 

7歳になる長女は2年生に進級するはずが、2月末から小学校が休校に。ぞろぞろと続く5歳(長女)、3歳(次女)、1歳(長男)もいることなので、目の前に現れた膨大な時間を有意義に使い、身近にある素晴らしい自然環境をフルに使って家族と過ごすことにしました。

この時間を、僕はあえてポジティブに「バケーション」と呼んでいます。

 

まず、休校になった長女を連れて古道の整備へ連れ出してみました。ちょうど新しいコースを整備しはじめた頃だったので、山道に堆積した倒木や落ち枝をどかしていく作業なら子供でも簡単にできるし、自分たち家族が何をしてお金を稼いでいるのかを見せるのにはちょうど良い機会。

 

長女は生後3か月から、立ち上げたばかりのツアーの搬送車にチャイルドシートで乗せられて、山のラフロードを走っています。

おまけに去年の秋には学校を1か月休ませて(コロナ休校もあってすごい休んでる……)ネパールのヒマラヤトレイルを歩く旅にも連れて行き、標高5000mを超える峠まで経験しているので、かなりの体力があります。

 

小さい身体で大きな鍬(くわ)を工夫しながら使えるようになったり、山の中にある鳥や動物の気配を感じ取りどんどん野生化していったりするのは、親としても見ていて面白い。

山の作業の中では木を伐り倒す危険な場面もあるのだけれど、事前にあえて

「お前、そこに立っていると死ぬよ」

と言葉にして教えています。(もちろん、ちゃんと安全は確保しています)

 

危ないことや、死に繋がってしまうかもしれないイメージを見せるのは、学校に通っているだけではできないこと。実際に目の前で木が倒れるシーンを見て、大きな物質のチカラを感じると、それがどれだけ危険なことなのか子どもにだって理解できると思うんです。

 

山に入らない日はストックしておいた木材で家具もつくり始めました。もちろん、すべて西伊豆の山から自分たちで伐りだした木。シンプルで有機的なローテーブルやスツールをつくりたいと考えていて、いろいろと挑戦中です。

 

6人家族の食料調達が最も重要なライフワークに

さて、バケーションはいい面ばかりではなく、困ったことも。学校や保育園に通わずに6人家族がほとんど家にいて、毎回毎食、家で食事をするとかなりのコストがかかることが判明したのです。学校給食のありがたみを感じる一方、収入ゼロの今、これは何とかしなければ。

 

そこで、なるべくお金を使わず、身の周りにあるもので生きる方法にチャレンジしています。そのひとつが食料調達のための、本気の釣り。風の少ない日はカヤックに乗り込み、近くの浜から海へ漕ぎだし釣りに出掛ける日々をスタートしました。

 

社会の出力がおもいきり低下している人間社会だけれど、春の海は生命のスープのよう。

 

カヤックに取り付けてある魚群探知機には、真っ赤に映るイワシやキビナゴの群れが何万匹もの生命反応を映しだし、その小魚を捕食するために追い回す大きな魚がミサイルのようにその群れの中へ突っ込んでいくのが見えます。

それをカヤックの上からルアーや泳がせたイワシの仕掛けで狙い撃ちにしていく。豊かな伊豆の海は釣れる魚の種類も多く、マダイ、ホウボウ、マゴチ、ハタ、イトヨリダイなどなど。

 

カタクチイワシの大きな群れが接岸したときにはサビキ釣りで大量に釣り上げて、パスタやサラダなどに使いまわせる保存食のアンチョビを作りました。頭やハラワタは塩漬けにして、魚醤も仕込んでみています。

 

波が小さい日には長女と5歳の次女も交代で乗せて行くのだけれど、潮の通りが良い岬の沖でウミガメに遭遇してから、荒れた天気でも毎日カヤックに乗りたがるように。仕方がないので映画『ジョーズ』を見せたところ、少し落ち着きを取り戻したようです。

 

おかげでこの1か月、おにぎりに入れるサケ以外の魚はほぼ買わなくてもよくなりました。「いっそのこと漁業権まで取得しちゃうか」なんて話まで、家族の中で出てきています。

 

次にやったのが、庭に菜園をつくること。SNSを見ていると畑をつくりだしたりする人も多くて、みんな思うところは「自立と自給」がテーマになるのかな。

 

子供が生まれる前は妻(地元出身)の親戚から借りた田んぼで米を作っていたのだけれど、どうも狩猟系な頭の自分は耕作が苦手で、田んぼは次女と長男たちの仕事になりそうです。

庭に生えていたあじさいは残念だけれど食料にならないので根こそぎ退去してもらい、土を盛り畝をつくり、夏野菜を植える。

 

魚を釣ったり畑で野菜を育てたりすることが日常になり、採って食べることを学びはじめた子どもたちは、家の周りに現われるキジを捕まえて鍋の具材にする計画を練っています。健闘を祈ろう。

 

ツアーや宿をやっていると週末がどうしても仕事になってしまうので、日曜の夜などは家族で外食することが多かったのだけれど、それも全くなくなると家で丁寧に食事を作れるようになってきました。

 

西伊豆へ移り住んで来たきっかけは日本食の料理の仕事を覚えるためで、こちらへ来た頃は旅館に住み込みで働いていました。

 

仕事をしながら調理の技術を覚えたあと、旅をしながらヨーロッパの日本食レストランで働くつもりだったので料理はかなり得意。

 

元ペンションだったロッジモンドの厨房にはフルスペックの調理器具が揃っているので、大きなガスオーブンを使って焼く40×40センチのスクエアピザは、1枚で家族全員ぶんのお腹を満たしてくれます。

ほかにも釣り上げた40センチのイトヨリダイをハーブとオリーブオイルをたっぷりとかけた蒸し焼きにしたりと、普段の生活ではあまりできなかった料理をつくって、外出できない夜の時間を楽しんでいます。

 

想定していた壊滅する観光、どこで暮らすのかは大きな決断になる

撮影:北見美佳

 

天災に度々見舞われてきた伊豆半島という土地柄、いつ起こってもおかしくない東海地震やそれに伴う津波などで、観光のすべてが立ち行かなくなることをいつもイメージしていました。まさかウイルスでこうなるとは思ってもみなかったけれど……。

 

先のことを考え、ちょうど1年くらい前から、社員ひとりひとりが稼げるようになろうと自由出勤制にしたり、意識してたくさん休みを取り入れるために、ひとまずこれ以上の仕事を増やさなくしたりという会社の運営をしてきました。

 

それはお金を生み出し続けることに、経営者である自分が少し疲れてしまったのもあるかもしれません。伊豆で人手が足りていない仲間の仕事もあるので、その時はそこへ手伝いに行けばいいだろうし、自分の会社の中だけですべての仕事をまわさなくても良いのではないか? そんな風に疑問を持つようになってきていたのです。

 

でも、会社のペースをゆるめた一番の理由は、生きるために働くのであり、働くために生きているんじゃないってことです。

 

時間は有限なのに、なぜか自分が作った仕事に追われて、目の前にある海へカヤックで釣りにも出掛けられなかったり、家族とゆっくり料理を作る時間が無かったりするのは人生の浪費なんじゃないのか。自然の中での経験や滞在を売っているはずが、いつの間にか「山のスピード」を忘れてしまっていたのだと気付きました。

 

それが今回のコロナウイルスのおかげで、強制的にだけれど実現できるようになったということ。またふたたび経済がまわり始めたときに社会復帰できるのだろうか……。この降って湧いた日々に慣れた人々から、「自粛ロス」なんて言葉が生まれてきそうな予感すらします。

 

人の移動が制約されるようになった今、どこで暮らし、生活しているかは大きな選択のひとつになったはず。

それは9年前の3.11の頃にも多くの人が思ったことだろうけれど、割とすぐに忘れてしまったような。今回のこともすぐに忘れるのかな?

 

自分たちが暮らしている土地をしっかりと理解し熟知し、楽しむことを今できるのであれば、この問題が収束した後の世界に、いままでよりもさらに良いものを伊豆に訪れる人に提供できるようになるはず。

 

だから今は充電期間のバケーション。楽しんで暮らしていこう。