八戸からこんにちは、ライターの栗本千尋です。

 

私たち家族は2020年の夏、青森県八戸市に移住してきました。

 

移住にも、生まれ故郷へ戻る「Uターン」、出身地ではない別の地方へ移住する「Iターン」、大規模都市から生まれ故郷に近い中規模都市へ移住する「Jターン」とありますが、我々夫婦は八戸出身なので「Uターン」組です。

 

近隣の十和田市で苔玉を作ったときの写真

 

移住から1年が経過した今では苔玉を育てる余裕があるくらい、地方での生活を満喫していますが、当初は環境の大きな変化に戸惑うこともありました。

そこで、移住から3年以上の先輩たちが、どのようにして基盤をつくったのか、お話しを聞いてみたい!

 

初回は、元編集者のたじーさんこと田島里奈さん。

東京・五反田にある編集プロダクション「ノオト」から、和歌山のモビリティベンチャー「glafit(グラフィット)」へ転職したたじーさんは、和歌山市へ移住して4年目に入ったそうです。しかも、夫婦とも和歌山出身ではなく、山梨県出身なんだとか。

 

事前情報によると、私とたじーさんは「同学年」「お互いの子どもも同い年」「夫が飲食関係」と、共通点が多いようです。私は移住前、東京での子育てに限界を感じていた部分が強かったのですが、たじーさんはどうなんでしょう。

 

そして、縁もゆかりもない土地に移住するIターン組の人たちは、どんなきっかけがあったのでしょうか。

 

教えて、せんぱ〜〜〜い!

 

東京の編集プロダクションから和歌山の電動バイク会社へ

取材は和歌山市(たじーさん)と青森県八戸市(栗本)を繋いでオンラインにて行いました

 

「たじーさんはなぜ和歌山市へ移住されたんですか?」

「きっかけは転職です。私は山梨県出身で4年前まで東京に住んでいたのですが、もともと地方移住なんてまったく考えていなかったんですよね、東京が大好きだったし」

「そうだったんですね!」

「和歌山という土地にすごくこだわりがあるわけじゃないので、いつかは別の土地へ引っ越す可能性もあって」

「私は“移住ありき”で仕事のやり方を考えたので、“仕事ありき”の移住がどのような感じか気になります。前職のノオトといえば、ウェブのコンテンツを幅広く手がけている編集プロダクションですよね。なぜ電動バイク会社へ転職を?」

「ノオトでは自動車関係のメディアの編集もしていたんですが、glafitを取材させてもらったことをきっかけに1ヵ月で転職が決まり……」

「えっ、話の展開が早すぎてついていけないです!(笑)。なぜそんなことに?」

「私、インタビューで雑談を挟むタイプなので、和歌山ってどういうところなんですか、社員は何名なんですか、とお話しを聞いているうちに、『こういう課題は私が入ったら解決できるかもしれないですね』と発展しまして」

 

現在の会社の飲み会開催時の定番居酒屋「多田屋」にて。(和歌山駅前)

 

「もともとモビリティ業界に興味があったんですか?」

「モビリティに限定していたわけではないのですが、ハード系に興味があったんです。私が担当していたのはウェブメディアでしたが、インターネット上のものって実体がありませんよね」

「そうですね」

「いつからか『インタビューでお話を聞くだけじゃなくて、メーカーに入ってモノづくりの流れが見たい!』って思うようになっていて」

「メーカーの“中の人”になって実際のところを見たいと」

「編集の仕事ではいろんな企業の制度や働き方の話を聞くことも多かったので、上場の瞬間を見たいという気持ちが芽生えてきて。IPO(新規株式公開)しそうなベンチャー企業で、しかもハード系という条件だと、転職先がそうそうないんですよ」

「そういう土台の考え方があったから、転職までの話が早かったんですね」

 

glafitの「GFR-01」は、折りたたみ可能な電動モビリティ。クラウドファンディングのMakuakeにて1億円を超えるヒット商品となった

 

移住を切り出すと夫からは離婚を申し出られ……⁉︎

「ご家族はすぐに説得できたんですか?」

「夫には大不評で、『離婚させてください』って言われました(笑)」

「えっ!!!! 急展開!」

「子どもは当時2歳だったので意見を聞けなかったんですけどね。夫に対しては『いや、お願いします、どうにか一緒にきてもらえないでしょうか!』と説得を続けました」

「夫さんのお仕事もあるわけですもんね。どうやって納得してもらえたんですか?」

「もともと夫はフランス料理店で働いていたのですが、料理人って最終的に『自分でお店を構えるか』、『雇われ料理長になるか』が大まかな選択肢なのかなと」

「うちも夫がお店を出すつもりで移住してきたので、わかります」

「彼は『自分でお店をやるならパン屋さんがいい』と話していて、有名なパン職人の方のところで修行させていただいていたタイミングだったんです」

「将来的にお店を出すことを視野に入れて、修行中だったんですね」

「はい。そんな夫がある日突然『和歌山に行ってくるわ』と出かけていったんです。実際に見てまわって、移住先でお店を出すのもいいかなと考えてくれたみたいです」

「おお! 移住後、お店はどうされたんですか?」

 

パン屋

たじーさんの夫さんのパン屋さん

 

「今年の3月にパン屋さんを開店しました。移住してきて3年間は、和歌山の飲食店で働かせてもらって。今となってはお店が大繁盛で、『和歌山にきてよかったね』って言っています」

「それはよかったです!」

 

知らない土地での住居選びは? 子育ては?

会社の人たちと磯遊びしたときの写真

 

「私のようなUターン組は土地勘があるわけですけど、Iターンの人たちは住む場所をどうやって決めるのでしょうか」

「最初に移住してきたときはアパートを借りていましたが、昨年マンションを買いました。今年から子どもが小学校に上がるタイミングだったので、通う予定の小学校の近くで」

「マンションを買われたんですね! 暮らしはどうですか? 私は東京の狭い2DKで暮らしていたので、移住してから庭でプールを出したりBBQしたりするのが、すごく贅沢だなって思っています」

「そうですね、マンションを買ってめちゃくちゃ満足度が上がりましたよ! 食洗機も乾燥機も床暖房もついてるし」

 

会社の同僚宅でBBQすることもあるというたじーさん

 

「文明の利器だ。東京のときと比べて子育て環境はいかがですか?」

「うーん、ノオトは柔軟な会社だったので、東京のときも子育てはしやすかったんですよね」

「えっ、そうなんですか! すみません、編集業なのでハードなイメージでした」

会社の近くに住んでいたし、保育園も徒歩1分くらいの場所にあって、子どもが熱を出しても『ちょっと見てきます』って言える環境でした。職場にバウンサー(ゆりかご)を持ち込んで仕事したこともあったし、社長や同僚のみんなに見てもらったことも」

ノオト社長

五反田時代の会社代表に抱かれるたじーさんのお子さん

 

「それはめっちゃいい! 私は東京での子育てに限界を感じていたところもあって……」

「と、言いますと?」

「妊娠中から『マタニティマークをつけたほうがいいのだろうか、嫌がらせをされたらどうしよう』ってバタバタしたり。東京という土地柄、電車に乗らざるを得ないことも多かったし、どうしても人が多い場所の中を子どもを連れて移動しなくちゃいけないこともあって」

わ〜〜! あった、今、思い出した! すごい大変だった

 

スイッチが入ったように何かを思い出した、たじーさん

 

「移住して3年以上経って、どうでしょうか?」

東京だと道でも電車でもすれ違う人が多くて、常に自分たちが弱者みたいな状態だと感じていたけど、今は物理的に人と接する機会が少ないから、ストレス度がかなり下がりました。4年も前のことだから忘れてたけど」

「気づかないくらい自然とストレスが減っていたんですねえ」

 

 

地方の教育格差はどう考えるか

「子育ては地方のほうがしやすい面があるとはいえ、教育格差、経済格差、医療格差などがあると言われていますよね。どう折り合いをつけたのかが気になっています」

「東京って教育に関する選択肢がめちゃくちゃあるじゃないですか。どのタイミングで受験するかとか、学校の数も多いし」

「選べる選べないに関わらず、無限に選択肢がありますよね」

「和歌山では選択肢がそこまでないから、あまり悩まずに決められました。中学以降は他県への通学っていう選択肢もあるだろうし、東京方面の学校へ入学してもいい。『子どもが行きたい学校へ行けるよう、親はがんばって働くわ!』って感じですね」

「和歌山市は県庁所在地ですし、都市部のほうだから経済や医療の格差もあまり感じないのかもしれないですね」

「経済格差でいうと年収は下がりましたけど、業種によるところも大きいと思います」

「そうですね。移住してすごく大変だったことはありますか?」

「移住と転職が同時だったので、最初のころは家のことに手が回らなかったです。転園した和歌山市の保育園が19時までなんですが、五反田の保育園に慣れきっていたので、お迎え早いな! とか」

「東京の保育園は、遅くまで預かってくれるところもありますもんね」

「ただ、引っ越してきてすぐは夫が仕事をしていない時期があって、きめ細やかにサポートしてくれましたし、今も時間の融通がきくようにしてくれているので、とても助かっています」

「夫婦での役割分担に対して、お互いが柔軟に対応できるか、というのは大事ですよね」

 

和歌山の好きなところは、海と山と夕日

「最後にせっかくなので、和歌山の好きなところを教えてください」

「海と山かな。山梨は海なし県でしたし、東京でも海が近いわけじゃなかったから、海に親しんでこなかったんですけど。和歌山に引越してきて最初に住んでいたアパートは、車で10分くらいのところに海があったんですよ」

「おお、いいですね〜〜!」

車にビニールシートを敷いておいて、海で1時間くらい遊んだら帰るみたいな。こんなに気軽に海に行ける人生が私にもあるなんて思っていなかったですね」

 

たじーさんがよく行っていたという、浜の宮海水浴場

 

「山はどんな感じですか?」

「山梨は盆地で、遠くに山が見えていたんですが、和歌山はそこらじゅうに山があるんです」

「自然環境に恵まれているんですね」

「あ、そうだ。私が一番好きなのは、夕日です。和歌山って日照時間が長くて、太陽が沈む時間が遅い土地なので、夏とかは会社が終わって車を運転しながら『夕日きれい、和歌山いい!』って、毎日思いながら帰っていました」

「それは最高だ〜〜!」

「高台の公園とかでブランコにのっていると、空がバーンと広くて、山〜〜って感じで、空に吸い込まれそう〜みたいな。なんか私、土地にこだわりがないつもりだったんですけど、今日話していて、和歌山での暮らしを気に入ってるんだなって気づきました」

 

おわりに

移住前のたじーさんは、出産や子育てを取り巻く環境について怒っていた、という話を聞いていたので、ご本人が忘れていたことに驚きました。

 

それくらい、環境が変わって時間が経つことのインパクトは大きいのでしょう。

 

私は東京にいた頃、ずっと「東京のお母さん、やること多すぎない⁉︎」と憤りを覚えていたのですが、その“戦場”を離れてしまうことに対して、「課題を解決するために東京でできることをすべて試してみたわけじゃない」と後ろめたさを感じることもありました。

 

もちろん東京のほうが合う人もいるだろうし、移住したくてもすぐにできない人もいるでしょう。

 

ただ、ひとつの選択肢として、「地方で暮らす」というカードを持つのは悪いことではないように思えました。

 

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たじーさんこと田島里奈さんの務める「glafit(グラフィット)」の電動モビリティが気になった方は、ぜひこちらから覗いてみてね〜!

glafit | グラフィット

 

編集:くいしん