こんにちは。バーグハンバーグバーグでインターンをしている神田(こうだ)です。私は現在宿がなく、会社に泊まったり、マンガ喫茶やカプセルホテルを転々とする生活を続けています。
下宿先の京都から、会社がある東京まで何のあてもなく出てきたので、どこに住むのか全然考えてませんでした。以前は友達の家に居候させてもらっていたのですが、2カ月を超えたあたりで追い出されてしまい……
今はネットカフェや会社の会議室に寝泊まりする生活です。そんな行き当たりばったりの生活を続けていた私に、ジモコロ編集長の柿次郎さんが声をかけてくれました。
「神田くん、友達に追い出されたんだって?」
「まんまと追い出されました。僕これからどうしたらいいんですかね」
「それなら会社の近く(中目黒)に気になってる宿があるから今度行ってみたら? ご飯食べに行くときに、たまたま『旅荘』って見慣れない看板を見かけてさ」
「ホテルでも旅館でもなく、旅荘……? 泊まれるところなんだろうけど中目黒にそんなとこあるんだ。一度見てみたいんで、案内してください!」
閑静な住宅街に現れた古びた建物
柿次郎さんに連れられてやってきたのは、中目黒駅からほど近い、閑静な住宅街。本当にこんなところに泊まれる場所があるのか?
「あった! ほら、ここだよ」
「ひょっとしてこの『旅荘 秋元』のことですか?」
「そうそう。中目黒駅徒歩5分の便利な場所に旅荘よ? 今でもやってるのかどうかも分からないし」
「町の景色に溶け込んでいるように見えて、全然溶け込めてないですね」
現代的な街並みの中目黒で、ここだけ時が止まったようにぽつんと佇む宿。ここに泊まると二度と帰って来られないような気がします。一体、中はどうなってるんだ……?
玄関は完全に「他人の家」という佇まい。草木が茂りまくり。
玄関に入るといきなり応接間がドーン! 友達の実家に遊びに来たかのよう。年季の入った空間にちょっとたじろいでしまいました。
出迎えてくれたのは「旅荘 秋元」の主人、秋元一浩さん。
「こんにちは。なんだか普通の民家みたいですけど、ここってホントに泊まれるんですか…?」
「はい、泊まれますよ。1部屋=2800円からになります。昭和38年からやっていて、素泊まり専門の格安宿です」
「えっ! 個室で2800円!!? めちゃ安い! ちょっと見せてもらっていいですか?」
部屋を案内してもらいました。人ひとりすれ違うのがやっとの廊下。
全体的に色褪せていて、田舎のおじいちゃんの部屋を彷彿とさせます。
お客さんが置いていった本。一番上にあるのは名作『八神くんの家庭の事情』。
「部屋の雰囲気すごくいいです! こんな場所が中目黒に残っていたとは……!」
「喜んでいただいて何よりです。」
「実家が畳敷きの部屋だったから、妙に落ち着きますね。部屋の広さも十分だし、これは良い宿を見つけたかも!」
こういう宿って一体どんな人が泊まるの?
「いやー、昭和の面影が残る宿ですね。こういった旅荘に泊まるのは、どんな人が多いんでしょうか」
「終電を逃したサラリーマンや地方から出張でいらした人が泊まってますね。もちろん、神田さんみたいに宿無しの人もある程度います。中には2〜3カ月連泊する人もいますね」
「なるほど。そういった需要があるんですね」
「終電を逃してここに泊まれるのはいいですね……! 僕は上野周辺に住んでるんですけど、朝まで飲んでタクシーに乗ると中目黒から自宅まで8000円かかります。それなら、ここに泊まって始発で帰ったほうが断然安い」
「今の生活だとマンガ喫茶のフラットシートで寝ることも多いんですけど、ぜんぜん疲れが取れなくて…。だからこの料金でちゃんと布団で寝られるのはありがたいですね」
電車の始発の時間と宿泊料金の書かれた張り紙。木造の部屋が2800円で、鉄筋の部屋が3000円。なぜかWi-Fiが入りやすいのは木造の部屋だとか。
「失礼かもしれないんですが、こういうところって何となく事情があるお客さんが多そうなイメージがあるんですよね。変わったお客さんはいらっしゃいました?」
「そうですね。けっこういろんな人が泊まっていきますよ。あとで聞いてわかったことなんですが、地方から家出してきた女の子とか。長年この中目黒にいるから、目の前でテレビドラマの捕物劇みたいなのを見たこともあるし」
「様々なドラマに触れてきたんでしょうね」
「まあね。ただ言えるのは、事情がない人の方が少ないってこと。誰だって、何か思いがあってこの宿に来るわけだから。酔っ払って帰れなくなった人とか、出張で一人泊まりにくる人でも、みんな抱えてるものがあるんですよ」
「この昭和な香りがする部屋で、秋元さんの話を聞くと、めちゃめちゃ心に沁みますね。僕も地方から、ライターになるぞって夢見て、宿を探してるんで……」
すぐそばには、駒沢通りや山手通りといった道路が通っているのに、取材時はとても静かでした。この天井は一体どれほどの人間ドラマを見てきたのだろう。
「終電を逃した人や、地方からの出張でやってきたサラリーマンがメインとのことですが、変わった宿泊客なんかはいましたか?」
「変わった人ねぇ、でもお客さんのプライバシーもありますからね……あ! そうだ、いましたよ!」
「おぉ、教えてください! どんな人だったんですか?」
「207号室に幽霊が出るらしいんですよ」
「人じゃなかった」
「しかも、207号室って今いるところだ」
「でもここだけの話、すごい美人の幽霊らしいですよ。私は見たことないんですが、もうこの世のものとは思えないぐらいキレイだとお客さんが言ってましたね」
「実際この世のものじゃないですけどね」
「まあそれぐらいキレイだったという話です。なんせ、そのために通っていた人もいるくらいで。最近は幽霊が出たって話を聞かないけど、どっか行っちゃったのかなぁ…」
「美人の幽霊が出るまで通います!」
隣にある賃貸アパートの存在
「窓から見える向かいの建物は、秋元さんがご家族で住んでいるんですか?」
「あそこは賃貸で貸してるアパートです。今は季節柄やってないんですけど。見てみますか?」
「ぜひ見たいです!」
「本館の隣がアパートになっています。階段が急なので気をつけてくださいね」
転げ落ちたら確実に死んでしまうほど急な階段。
アパートの廊下、たくさんの人がここを歩いたせいか床は磨かれてピカピカ。
「部屋はご覧の通り、質素な和室です。今は真夏なのにエアコンがないのでちょっと暑いですけど。日貸しもやっていて1日=1,500円。1カ月=40,000円+光熱費です」
「中目黒のワンルームの家賃相場が約7〜10万円くらいだから、4万円は破格の安さだ! 駅にも会社にも近いし最高すぎる」
「縁側もあるし雰囲気めちゃくちゃいいな…」
「神田くんもうここに住まわせてもらいなよ」
「そのときはお待ちしてます」
中目黒はどういう土地だったのか
「昔は中目黒にも旅荘はたくさんあったんですが、今ではすごく少なくなっちゃいましたね」
「オシャレな街として名高い中目黒に、かつては旅荘が軒を連ねていたなんて想像つきませんね。こちらの旅荘はかなり年季が入っているように見えますが、いつからあるんですか?」
「ウチは東京オリンピックの前からやってますね。西暦でいうと1964年より前かな。そのときはオリンピック特需がこのあたりにも回ってきてたくさんの人が泊まりに来てくれましたね」
「当時は確か渋谷公会堂でウエイトリフティングの競技をやってたそうですね。選手村も代々木のほうだったし。ということは結構儲かったんじゃないですか?」
「ま、多少はね。昔の話ですよ。当時は目黒区でオリンピックのボランティアを募ってたみたいで、中目黒の人はほとんど参加してたみたいですね」
「じゃあ東京オリンピックと中目黒ってけっこう密接に関わってたんだ!」
「そうですね。例えば、この宿のすぐそばに駒沢通りってあるじゃないですか。あれって東京オリンピックに合わせてダーッと舗装したんですけど、作業員の人もかなり多く雇ったからね」
こちらが駒沢通り。1964年の東京オリンピックから今なお健在!
「道路工事をする人が旅荘に泊まりに来て、このあたりの経済が潤ったんだろうな~」
「1964年のオリンピックは50年以上も前のことですよね? 昔の中目黒はどんな街だったんでしょうか」
「昔は中目黒に牧場があったことは知ってます? 今の目黒区役所のあたりかな。牧場からアメリカンスクール、その次は千代田生命、最後は目黒区役所になっちゃって」
「そうなんですか! 都会的な街並みの中目黒に、昔は牧場があったなんて想像もつかないですね」
「今は面影もないですからね。でも土地柄なのか土壌があまりよくないそうなんです。特に土が好ましくないって話を聞いたことがありますね」
「そんな噂があったんですか!?」
「ええ。だから庭師は昔から中目黒で土いじりするのを嫌がるみたいですよ。実際に亡くなった方もいるとか……いや噂ですけどね。子供の頃は親に『穴を掘るな!』って何度も言い聞かされていました」
正覚寺の境内にある畜牛の供養塔。中目黒に牧場があったことを伝える数少ない史料。
「今は目黒川というとおしゃれスポットですが、昔はどうだったんですか?」
「目黒川には工場排水がドバドバ流れ込んでました。川面がぼこぼこ泡立っててねぇ。昔は規制も緩かったですからね。桜の季節には泡と桜が入り乱れてなんとも幻想的な風景でしたね〜!」
「幻想的とか言ってる場合じゃないでしょ!」
「それは何十年もこの町を見続けてきた人しか見れない景色ですね! 知らない歴史がぽんぽん出てくる!」
※9月7日現在
「ちなみに現在ポケモンGOでは目黒川にコイキングがうじゃうじゃ湧いてるんですがこちらは知ってましたか?」
「それは知らなかったなー。最近川沿いにやたら人がいるなとは思ってましたけどそういうことだったんですね」
「よっしゃ」
「変なところで張り合うな」
旅荘を続けている理由とは
「改めて考えても1部屋=2,800円は破格の安さですよね。この料金で、儲けって出るんでしょうか」
「儲けは出ませんね。プラマイゼロで相殺されちゃうくらい」
「そこまでして、なぜ旅荘を続けるのでしょうか」
「ひとことで言うと寝泊まりできる場所を必要としてる人がいるからですね。もちろん儲けたいって気持ちがない訳じゃないですよ? 僕にも家族がいるから養わなきゃいけないし 」
「それでも宿を続けたいと」
「何十年もここで宿をやってきたから、自分にはそういう、役割みたいなものがあるんじゃないかな。ここで色んな人のドラマを見守ろうってね。まあ良い人生だと思ってますよ(笑)」
「少なくとも僕からすれば、こんな宿があることはすごく助かります。会社の会議室とかマンガ喫茶は、生活し続けるにはつらくて……」
「じゃあここに泊まって、真面目に働いて、それで一人前のライター……でしたっけ? カメラマンでした? とにかくそれになるために頑張ってね!」
「なんだか大ざっぱですけど、それすらもあたたかく思えてしまう! というわけで秋元さん、今日からさっそく、お世話になります!」
まとめ
中目黒という煌びやかな街に現れた古めかしい旅荘。正直に言うと、最初は「こんなところ、誰が泊まるんだ?」「なんのためにあるんだ?」なんて思っていました。
でも、戸口を開けるとそこには様々な人の思いと、秋元さんの優しさが広がっていたのでした。
というわけで、僕は207号室を居場所にして今日も会社に通っています。
いつか美人の幽霊が現れる日まで……
それではまた。