「抜け」ゼロの旅館再生にかかった費用は、5億円

「さあさあ、いい感じにアルコールも入ったところですし、昼間は聞けなかったお話を聞かせてください!」

「そうですね(笑)」

「では、あらためて……! ぶっちゃけ、お宿を継ぐってめちゃくちゃ大変じゃないですか?」
「大変は大変ですよ、やっぱり(笑)。今までも旅館をやっていたとはいえ、リニューアル前とは客層もスタイルも、客単価も変わっています。宿としてのあり方を、ゼロからすべて見直したといっても過言ではないです。

宿を継ぐということは、50年、100年先まで考えて投資しないといけない。やる以上は120%でやらないと意味がない、と」

「じゃあ、瀧波のリニューアルも120%の投資を……?」

「はい。そのために現社長である叔父を中心に、5億円規模の工事を行いました」

「ご、5億……!? サラッと大きい数字がでてきてびっくりしちゃいました」

 

「でも、今回の投資においては、そもそも宿を豪華にすることが目的ではありません。瀧波の理想は『抜け』がゼロであることなので」

「『抜け』って、どういうことでしょう?」

「たとえば料理が素晴らしくて、お皿もテーブルも良かったとします。でも、レストランに入った時の内装や接客がその世界観から外れたものだと一瞬で冷めてしまう。僕らはそれを『抜け』と呼んでいて」

「実際、館内のどこを見ても、細部にまでこだわっていることがひしひしと伝わってきました。その状態が『抜けゼロ』ということなんですね」

「はい。宿のあらゆる要素に“瀧波らしさ”や“山形らしさ”が感じられる居心地を目指しています」

 

末っ子は「接着剤」家族における立場と役割

「お兄さんはもともと家業を継ぐつもりだったんですか?」

「須藤家は私と双子の兄、それに弟の修の、男三兄弟です。でも正直なところ、だれが家を継ぐかといった話は、小さい頃から一度もしたことはありませんでした」

「ご両親から『旅館を継いでほしい』といった要望も?」

「両親からも『そんなんじゃ旅館の息子になれないぞ』みたいな圧力は一切なかったですね。実家がたまたま旅館だったというだけで、ほかの家庭の子たちと変わらないです」

「うちは両親がパン屋をやっているので、その感覚はわかりますね。たまたまそうだった、っていう。

それじゃあ、宏介さんはどのタイミングで旅館を継ぐ決意をしたんですか?」

「高校卒業後にしばらく海外で生活していたのですが、海外に出たことで自分が生まれ育った環境を客観的にみることができたんです。『うち旅館じゃん!』と。23、24歳の頃ですね」

 

「一泊二日のあいだお客さまと時間を共にして、料理や寝るところ、着るものまでトータルの提案ができるのは宿泊業しかないし、そこにすごく魅力を感じたんです」

「一度離れたことで、家業の偉大さを実感したんですね。

とはいえ、ご両親や叔父さんと意見がぶつかることもあったんじゃないですか?」

 

「世代や立ち位置の違いによる『価値観の差』みたいなものはすごく感じますね。ここまで宿をつないでくれた両親の世代と、これからを背負っていく私や修の世代、さらに現在の社長であり過去から未来へつなぐ役割を背負ってくれた叔父の立場。

それぞれが瀧波のことを思い、考えているからこそ生じる意見の違いは避けられないものなので……」

「現場をまとめる立場のやりにくさ…! スタッフさんたちには一つの方針を打ち出さないといけない訳ですしね」

「さきほどの設備投資の話でいうと、僕らと叔父はやるのならば高いクオリティで抜けをゼロにすべきだという意見。一方の両親はそこまで大きく改装はやらなくていいのではと、意見が分れてしまって」

「同じ敷地内で生活してはいるものの、2〜3カ月会話しないような時期もありましたね」

「2〜3カ月も!? 家族のケンカにしては規模が大きすぎる」

「最終的には『お金を返していくのは、自分たちじゃなく息子やその先の世代だから』と言って、納得してくれたんですけど」

「一番の協力者であり、育ての親であり、なおかつ旅館をずっと守ってきた経営者の意見を否定してでも押し通さなければならない、という辛さはありましたね」

「ああ、想像すると胸が痛い……。

どうりで昼間は口が重かった訳だ。あの場所で、ご両親とも叔父さんとも一緒に働いてる訳ですもんね。スタッフさんからインカムに連絡が入ったりもしていたし」

 

「これは末っ子に生まれたわたしの、ごくごく個人的な意見なのですが、末っ子ってそういう時に『間を取り持つ立場』を引き受けがちじゃないですか?(笑)」

「(笑)。言われてみれば、そうかもしれませんね」

「そうなの?」

「それに僕は、唯一旅館の外で仕事をしている立場でもあるので、外部からの客観的な視点と、末っ子という立場をうまく使って立ち回ることが多いですね。世代間をつなぐ接着剤のような」

「末っ子は接着剤……! その感じ、とてもわかります。『両親にかわいがられて育った』という自覚があるぶん、末っ子は親に対するネゴシエーションが得意だと思ってます(個人的な意見です)」

「兄には兄の立場があるので、僕にしか言えない言葉は確実にあるんですよ。でも、家族だから言いすぎちゃうこともあるし、それで向こうに拒絶されたこともあるし、言ったあとで自分が一番ヘコむこともある」

「わかる〜〜〜〜」

「特にみんなの意見がバラバラだった時期は、『これであってるのかなあ?』なんて一言を言い合うためだけの電話を何度もしました」

一番辛い時期のことを思い返し、しばし黙り込んでしまった二人

 

「家族に嫌われるかもしれなくても、愛情があるからこそ言わなきゃいけないこと、言えること、というのはありますよね。こちらが折れてしまうと、絶対にいい結果を生まないとわかっている時とか」

「本当に、それを信じているのがすべてですね。否定されたり拒絶されたらおもいっきり傷つきます。でも家族であることを信じているから、なんとか進んでこられたと思います」

 

兄が背負う「自分はここでやるぞ」という決意

「難しいのは、みんな旅館を良くしようとやっているんですよね。でも、時にはそれを否定しなきゃいけないこともある。経営者である叔父と兄の間では、意見がくい違う部分も多々あって」

「数字を管理する人と現場を管理する人では、日々見ているものが違いますもんね」

「叔父は、定量的な部分が得意な人なんです。大企業で船を作り売っていたわけですから。その世界では『いかにコストを抑えて売上を最大化するか』が重要になります」

「そもそも大企業と中小企業では経営の仕方は全然別物ですし、社会人としての経験値の違いもあります。なので、必然的に意見はぶつかりますよね」

「父(パン職人)と母(おもに経理担当)も、よくケンカしてましたね。『こんな悪天候の日に、たくさんパンつくっても余るでしょ!』って。父には父の考えがあってのことなんですけどね」

「その状況にすこし似ていますね。叔父の価値観ももちろん大事だけれど、根本が違うので意見がぶつかることは多いですね」

「それでも、やり続けられるのもまた、家族だからなのかなと思います」

「そうですね。叔父の存在というのは、乗り越えなければいけない『壁』であり、『伸びしろ』でもあると思ってます」

 

「わたし自身、旅館の運営に長く携わっている訳ではないので、そういう意味では実績がないとも言えます。そうなると、あとはいかに『想いを伝えるか』でしかないんですよね」

「本当は河原で殴り合って認め合う……みたいのができればいいんでしょうけど。そうもいかないので(笑)」

「叔父の言葉は期待の現れでもあると思いますし、一人で抱えきれないことは修にもフォローしてもらって。本当に、彼には助けられてるんですよ」

 

「(最後にぶっこんできた兄弟デレ・・・尊いかよ・・・・)」

 

 

こうしてお店の閉店時間を迎え、だいぶお酒も進んだ取材はおひらきに。

ただ、どうしても最後に聞きたいことがあったので、帰りのタクシーを待つ間、お兄ちゃんにだけこっそり話しかけました。

「お兄ちゃんは、弟をどう見てるんですか?」

「(しばし沈黙……)。最初は、あんまり巻き込みたくないと思ってたんです。本当はこういうこと言っちゃいけないと思うんですけど(笑)」

「お、お兄ちゃん〜〜〜」

「自分はまず旅館を継ぐ覚悟を決めたので、必要であれば借金もする気でいました。旅館と共に生きてきた先祖がいて、うちの両親も目の前にいる中で、『この宿を残したい』と思った。自分はここでやるぞ、と」

「弟には苦労をさせたくない、兄心(あにごころ)ってやつですね」

「そうですね。やっぱり旅館の経営って思ったよりも大変なんですよ。叔父が助けにきてくれて、ありがたいのと同時に、乗り越えなければいけない試練も増えました。そういうところに彼を巻き込んでしまうのが、すごく申し訳なくて」

「でも、修さんは絶対に助けてくれますもんね?」

「もちろん、ここまでこれたのは彼がいてくれたからだし、彼がいなくなったら正直キツイなと思います。なので、今はもう『最後まで付き合ってもらうよ』という気持ちでいますね」

「やだ、泣いちゃう……」

「だけど、まだまだ100%うまくいくことだけじゃない。いろいろなしがらみや問題を二人で乗り越えて、そのうち自分たちの世代になったら、『この街をどうするか』みたいな話もしていきたいですね。これは言葉にしなくても通じてると思うんですけど、だから、今は、もうちょっと頑張ろうね、と」

 

さいごに

何度も言葉を飲み込み、ひとつひとつ言葉を選びながら話す宏介さんと、そんなお兄さんを見つめる修さんの表情がとても印象的な取材でした。

次期経営者として、旅館の行く末を、そしてお客さまにとっての「いい宿」を、とことん追求する兄。

前例のない領域に踏み出そうとする我が子を心配し、それゆえに慎重になってしまうご両親。

実家である「瀧波」を立て直すため、仕事を離れ、大規模なリニューアルプロジェクトの先頭に立ち続ける叔父さん。

そして、独自のバランスで成り立つ家族関係において、時に潤滑剤として絶妙な立ち位置で仲を取り持つ末っ子の修さん。

 

家族だからこそ、思いも言葉も強くなるのだと感じました。

それでも、それぞれに「いい旅館にしたい」という思いが共通しているからこそ、『山形座 瀧波』は、ハード面もソフト面も「抜け」のない、素晴らしいお宿として復活したのだと思います。

 

「山形座 瀧波」、はちゃめちゃに推せる旅館です。

まもなく、客室でたのしめる雪見露天が最高な季節がやってきますよ!

山形にお立ち寄りの際は、ぜひぜひ瀧波で最高の空間と料理と接客、そして温泉をたのしんでください。

それではみなさん、またお会いしましょう!