進化する「暮らしの街」、高崎

「株式会社まちごと屋」スタッフ、武井仁美さん

 

お話を伺ったのは、高崎市・本町周辺のエリアを中心に空き家活用やマッチングなどの事業を行う「まちごと屋」専従スタッフの武井さん。高崎市での暮らしを楽しんでいる市民のひとりでもあります。

何もなかった昔の高崎

まちごと屋の物件のひとつ、古民家を改装した「NAKAKONYA」でお話を伺いました

 

「僕が高崎によく足を運ぶようになったのは2018年ごろからなのですが、そのときは既にREBEL BOOKSや椿食堂などが町にあり、動線みたいなものができていました。今の姿になる以前の高崎って、どんな雰囲気だったのでしょうか?」

「私たちは10年前くらいから空き家活用などをやっているんですけど、その頃はとにかくリーマンショックの影響で、景気がどん底で。このあたり(本町周辺)に関しては、空き家があっても、そこで何かを始めようとする人たちはほぼいませんでした

「今となっては『まちづくり』は常識というか、その類の活動は日常的に見られますが、当時はそうでもなかったんですね」

 

通町にはネコもいるぞ

 

「そうですね。本町は結構大きな通りなんですけど、当時は昔からのお店がぽつぽつという感じで。新しく入ってきて活気があったのはチンズバーガーくらいだったかもしれないです。今ほど賑やかではなかったですね。椿町も、もともとは大きな料亭からの流れで発展したスナック街だったので、お昼の人通りはほとんどありませんでしたね」

「でも、寂れる前というか、平成の頭くらいまでは今よりも賑やかだったわけですよね」

高崎は歴史的に『取引の街』で、繭や生糸の取引で栄えていました。江戸から明治にかけては、特に田町や本町あたりはすごくて、『お江戸見たけりゃ高崎田町』なんて歌があったくらい」

「江戸に例えられるくらい!」

「富岡製糸場をはじめ、県内で生産された絹が高崎に運ばれてきて、昼は取引、夜は接待みたいな流れがあったようです。時代は下って、高度経済成長期からバブル直後くらいまでも、メインストリートでは人と人の肩がぶつかるくらい人通りが多かったと聞いたことがあります」

 

お江戸見たけりゃ高崎田町

 

「あ〜!上毛かるたの『か』の札で『関東と信越繋ぐ高崎市』と詠まれていたのは、そのことだったんですね。あれは高崎の交通の便やアクセスの良さを説明していたのか……」

※上毛かるた……県の名所・歴史・文化などについて詠まれている、群馬県のローカルかるた。群馬県の小学校では必ず実践するため、県民は群馬についてそれなりに詳しくなることができる(代わりに百人一首はめちゃくちゃ弱い)。

「あれ、小学生当時は『シンエツってなんだ?』みたいに言葉の意味を理解しないまま、単純に対戦ゲームとしてやってたんですけど。今、大人になって『高崎は取引の街』といった情報を聞くと、『あの札のことか!』ってパズルがハマる感じがしますね。上毛かるた、つくづく優秀なメディアだ」

 

空き家活用×編集の可能性

「僕にとっては椿町のあたりも含めて『あのへん』的な認識というか、磁場がある感じがしていて、それはまちごと屋さんの功績が大きかったのではないかと思っています。現在はWEBメディアの運営やポスター制作など編集的な活動もされていますが、どんな目的をもって動いているのか気になりました」

「『空き家活用を入り口にして、なんでも屋みたいに立ち回りながら、自分たちが住んでいる街をもうちょっと面白くしたい』……みたいな感覚ですかね。まちごと屋のはじまりも、駅に比較的近いのに空き家が多い街の姿を見て、当社の代表が『ここは何かやりようがあるぞ』と感じたことがきっかけでした」

 

ケーキ・焼き菓子店「アンフルティエール」は、手付かずだった物置をリノベーションした店舗

 

現在ではカレースタンド「baimai(バイマイ)」とスポーツジムが入居しているビルも、実は20数年間放置されていたもの

 

「ただ、最初の活用についてはビギナーズラックというか、とんとん拍子でうまくいきすぎたのですが、その次からは結構大変で。物件の所有者さんが、なんらかの理由で不動産屋さんに出していないような物件を開拓しなければいけなかったんです。ここ(NAKAKONYA)も2015年くらいからお付き合いをしていて、やっと借りられたのが2020年。大切な物件だからこそ、長い目で信頼を作っていくことが必要なんです」

「色々な苦労があったんですね……! でも、最初から長期的にやっていくことを見据えたからこそ、その覚悟と熱意が伝わったのかもしれないですね。そういうの大事ですね……」

今後は、もうちょっと『暮らし』の面でアプローチしたいと思っています。お買い物や遊びに来る場所を超えて、『その街の住人になりたい』と思える何かができあがっていったらいいな」

 

NAKAKONYAに出店中の「ぽ」ランチをいただきながらインタビュー

 

高崎の今とこれから

「僕にとって高崎は遊び場だったり仕事場だったりするわけですが、県外から観光に来る方ってどこに行くんでしょうか?」

「『ついで観光』ですよね。草津や伊香保のついで。高崎から乗り換えで行く人が多いから。高崎でも山のほうに行けばちょっとは観光資源がありますけど、みなかみ町をはじめ『ザ・群馬の山』的な場所はたくさんありますし。第一の目的とはなりづらいのかもしれないですね。でも食べ物はなんでも美味しいし、来てみたら色々あるじゃん、ってなると思います

「逆に、高崎市に足りていないものがあるとしたら?」

「うーん、なんだろう……。意外と足りてるのかもしれないです。『コロナになって遠出ができない』みたいなストレスも、個人的にはあんまりなくて。半径数百メートル以内にいいところがいっぱいあるから、別に遠くに行って探さなくても毎日充実しちゃうんですよね」

 

なにもないようで、全部ある街、高崎

 

「実際に移住者も増えていて、2021年には、群馬全体としては珍しく『転入超過』になったらしく、その中でも一番住民が増えたのが高崎市でした」

「派手さはないけど、なんでもあるというか。確かに、文化的な部分はちょっと入り込まないと分からない部分も多いですよね」

観光ガイドブックには載らないかもしれないけど、ランチをどこで食べるか毎日悩むくらいには魅力がたくさんある街です。新しいお店もどんどん増えていますし、日々進化していく街の姿を見るのは面白いですね」

 

 

おわりに

僕はおとなり前橋市の農村出身で、人脈も実力も全くないままフリーライターとして社会に転がり出ましたが、今こうやって仕事ができているのは高崎でいろいろな人と仕事に出会えたからだという確信があります。

 

「高崎といえばこれ」と強く主張できるものは多くありませんが、生活圏を豊かにするために動いてきた市民の手によって、いま高崎は大きな器を持っています。もし、なにか心が動いたポイントがあれば、いつでも遊びにきてください。

 

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