こんにちは、ライターのギャラクシーです。持っているのはみやげ物屋で買った模造刀です。

 

僕には剣術の経験は一切ありませんが、剣一本に命をかける剣士たちの生き方……男の子なら、誰でも「かく在りたい」と思うのではないでしょうか。

 

マンガでも『バガボンド』や、『シグルイ』、『無限の住人』等など、剣術を題材にしたものは人気がありますよね!

 

という感じで剣術には興味津々なのですが、昔から、特に気になっている流派があります。

それは……

 

 

電光石火の初太刀に全身全霊をかけ、一撃のもとに敵を斬り伏せるという剛剣『示現流(じげんりゅう)』

 

防御した敵の刀ごと頭を叩き割った、など色々な逸話を聞きますが、本当はどんな流派なんでしょうか?

 

気になりすぎたので、鹿児島にある『示現流兵法所』にやってきました。ここは示現流の歴史を学んだり史料を見ることができる『示現流史料館』も併設された施設。

 

示現流史料館

開館時間|10:00~17:00

休館日|月曜日(祝日の場合は翌日休館)※年末年始12/31、1/1、1/2

入館料|大人500円/小・中・高300円

住所|鹿児島県鹿児島市東千石町2-2

公式HP

 

示現流ってどういう剣術?

話を聞いたのは示現流東郷財団 理事・事務局長の有村博康さん。

ご自身も示現流の剣士として40年研鑽を積んできた有村さんに、一体どういう剣術なのか聞いてみましたよ!

 

「示現流は多くのマンガや小説に登場します。なので名前は知っている人が多いと思うんですが、実際はどういう剣術なんでしょうか」

「示現流が最も重視し、教え込まれるのは『刀は抜くべからず(武に優れた人物であれば、争わずに済ませられるという教え)なんですが、一般的によく知られている特徴は、『一の太刀を疑わず、二の太刀は負け』という考えでしょうね」

「おぉ、マンガで読んだ通りだ! 具体的に言うとどういうことなんでしょうか」

「素早く飛び込み、全身全霊をかけた一撃で、敵を倒すということですね」

「かわされた時のことは……?」

「考えません」

「とはいえ、時にはかわされることだってあるのでは?」

「もちろん、実戦では『かわされてしまったから、もう諦めます』とはいきません。なので二の太刀、三の太刀と練習もします。でも、基本的には『絶対に初太刀で仕留める』ことを信条とした剣ですね」

『絶対に初太刀で仕留める!』という覚悟を持った男が、ものすごい速度で飛び込んでくるって、メッチャクチャ怖い状況ですね」

 

「僕が示現流に興味を持ったのは、新選組に関する本を読んだからなんです。平和な時代が250年も続き、江戸末期・幕末頃になると、剣術は戦場で敵を殺す技というより、“武士の嗜み(たしなみ)”とか“スポーツ”的側面が強くなったと書いてまして」

「そうですね。そういう傾向が強くなった時代かもしれません」

「そんな中、新選組が使った『天然理心流』は、徹底的に実戦のための剣術として磨き抜かれたもので、だからムチャクチャ強かったらしいんです。ところが、新選組の局長・近藤勇は、部下に『薩摩の初太刀は必ず外せ』と言ったそうで」

「それは有名な話ですね。わかりやすく言うと、『初太刀を受けるな(防御するな)』という意味ですね。受けた刀ごと頭を割られることも多かったそうなので。ただ、それは『薬丸自顕流』について言った言葉かもしれませんね」

「薬丸自顕流? それは、別の剣術なんですか?」

「混同されることが多いんですが、薬丸自顕流は、示現流の門弟だった薬丸家が、江戸後期に独立させた流派です。幕末頃は、上級武士は示現流、下級武士(新選組のメインの敵である勤王の志士など)は薬丸自顕流を習うことが多かったようです」

どちらも初太刀に全てをかけるという考え方は同じなんですか?」

「ええ。下級武士で示現流を修めた武士もいましたし、上級武士が示現流を使って新選組と戦うこともありました。なので近藤勇の発言が、厳密にどちらを指したものかは言い難いですけどね」

 

▼薬丸自顕流

野太刀自顕流とも呼ばれ、先制攻撃を重視する流派。防御のための技は一切無いという。

また、抜刀術的な技である「抜き」も備え、神速の攻撃を特徴とする。「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」という一撃必殺の精神を尊ぶ。

 

「さきほど『受けた刀ごと頭を割られる』という衝撃的な言葉がありましたが……マンガの中だけではなく、実際にそういうことって可能なんでしょうか?」

「幕末期に戦った武士の遺体に関する文章が残ってます。薩摩と戦った者の遺体には、自分の刀の峰や、鍔を、頭に食い込ませて絶命したものがあったそうです」

「ヒエエェ~~……真実だったのか! すごい剛剣だ」

「他にも、胴体を斜めに切断されているものや……」

「わかりました! 大丈夫です! 血が苦手なので、一旦、その話は大丈夫です!」

 

激しすぎる稽古

「マンガではよく、大上段に構えた刀を、『チェストー!』って叫びながら振り下ろしてますが……あれが示現流の基本的な動作なんですか?」

「まず、『チェスト~』は、実際には言いませんね。本来は『エ~イ!』なんですが、激しく叫びますから……文字にするなら『キィエーイ』とか『チエエ~イ』といった感じに聞こえます。猿叫(えんきょう)と呼ばれてますね」

「ほうほう、では、大上段のあの構えは……」

「おそらく『蜻蛉(とんぼ)』のことでしょう。実際に見てみますか?」

「え、今ここで……?」

 

示現流で40年剣術を学ぶ白坂さんに、『蜻蛉』からの打ち込みを実演してもらいました。動画に音声は入ってませんが、「ブォンッ! ビュオッ!」という、ものすごい風切り音が鳴ってます

 

「音すごっ! 怖い怖い怖い! これ、室内でやっちゃダメなやつ!!」

「これが蜻蛉です。普通の剣道の上段は、右足を前にして構えますが、蜻蛉は左足を前にして構えます。足と足は一足半分の間を空け、右手で自然に振り上げた形に左手を添えて構え、そして……全力で振り下ろします

「間近で見てる恐怖心からなのか、棒の先端が伸びてきているように見えます」

「お、その通りなんです! 示現流では、剣道とは違って『切っ先から斬る』ように打ち込みます」

「マンガではこの『蜻蛉』からの打ち込みばかり、というイメージなんですが、他にも構えはあるんですか?」

「もちろん下段や中段の構えもあります。短い武器用の戦い方や、長い武器用の戦い方もあります」

「結構バラエティ豊かなんですね」

「屋内戦だと脇差で戦ったりもします。寺田屋騒動(薩摩藩の指導者・島津久光が、同じく薩摩藩の尊皇派を始末するよう命じ、戦いになった事件)では、ほとんど短い刀で戦ったようです」

「薩摩の剛剣同士がぶつかりあう……想像するだけで血の気が引く光景だ」

 

「音に聞こえた示現流が、噂に違わぬ強さだったことはわかりました。そんな剛剣を、どうすれば身につけられるものなんでしょうか」

「稽古あるのみですね。示現流では、主に“立木打ち”というのを行います。土中に埋めて立てられた堅い木に、離れたところから走り寄って、掛け声と共に右、左と打ち込むんです」

「それは、竹刀で?」

「木刀を使います。といっても、おそらく今 想像している“木刀”とはちょっと違うと思います。……これが、示現流で言う“木刀”ですね」

「え? これ!?

 

ズシッ!とくる重さの野太い木の棒。それは剣というにはあまりにも大きすぎた。大きく 太く、重く、そして大雑把過ぎた。

 

「重っ!」

「それはユスという堅い木の棒で、刀と同じくらいの長さ・重さがあります」

※日本刀の重さは大体1.5kgくらい。ちなみに竹刀は500gくらい

「木刀って、もっとシュッとして刀っぽい形のものを想像してました。マンガ『銀魂』の銀さんが持ってるような。なるほど、真剣の重さに慣れるためとか、太い握りで握力を鍛えるとか、そういう意図があるんでしょうね」

「ちなみに、剣を握りなさいと言うと、大抵の人は人差し指や中指に力を入れるんですが、それでは、精妙なコントロールができない。刀を握る時は、小指と薬指でグリップして、柔らかく握るのが大事なんです」

「門下生でもない僕にご教示くださってありがとうございます。こんな重い木刀を何十回も立木に打ち付けるわけですか。大変な稽古ですね」

「何十回? いやいや(笑)

わははは(※近くで聞いていた白坂さんも笑う)」

「え? え? なんですか? 僕、何かおかしいこと言いました?」

「うちの稽古は2時間くらいですが、大体1時間は打ち込みをやってまして……子供の門下生でも日に500回くらい振ると思いますよ。大人だと1000回以上じゃないでしょうか」

「せ、せんっ!!???」

「だから立木も半年もすれば削れてしまって、使えなくなるんですよ。そうだ、ちょっと道場の方を見てみますか?」

「わっ! ぜひお願いします! 謎に包まれた示現流の道場を見れるなんて!」

 

かつては門外不出とされた剣術、示現流の道場。

実戦を想定して稽古しているため、床は平坦な板張りではなく、高低差が生まれるように砂が敷かれています。

 

こちらは実際に使用されている立木。左右の木の太さに注目してください

 

左の木は、連日の打ち込みによって、ごっそり削られている……!

 

「やりすぎ」

「昔の示現流剣士は、朝に三千、夕に八千打った、と伝えられてます」

「1万回以上!? そんなバカな!」

「私も気になって、1万回振るとどれくらいの時間がかかるのか、実際に試してみたことがあるんですよ。6時間かかりました

「実際やってみようかなと、よく思えましたね。そして、よくやり通しましたね!」

「朝に三千、夕に八千が実際にできるかどうか、示現流の剣士なら誰でも一度は試してみたくなると思います」

「他に、稽古で特徴的な部分はありますか?」

示現流は非常に礼節を重んじる流派なんですが……一方で、たとえ稽古でも、一度剣を握れば実戦であるという考えなんです。なので、挨拶をしません

「え。剣道の、特にお互い打ち合うような練習だと、まずは礼をしてから……というイメージがありますけど」

「ですよね。でも示現流ではそれを行いません。実戦で挨拶してから斬り合うなんてことはありませんから」

「へぇ~」

「さらに言うと、何時いかなる場面においても戦えるというのが実戦性なので、Tシャツやジーンズ、スーツ姿など、道着ではない服装での稽古も容認されています」

「グラップラー刃牙の渋川先生もそういうことを言ってましたが、スポーツとは心構えが違うものなんですね……」

 

立木は、最終的にこれくらい細く削れてしまうそうです。プロペラみたいになってますね。

後ろにあるのは木刀を作るための木。堅いユスの木を5年ほど乾燥させて作るそうです。

 

示現流の歴史

「二天一流なら宮本武蔵、一刀流なら伊藤一刀斎、という感じで、開祖になった人物が居ますよね。示現流の開祖というと誰になるんでしょうか

「戦国時代から江戸前期にかけて活躍した武将・東郷 重位(とうごう ちゅうい=以下“初代”)になります。もともと、タイ捨流という剣術を学んでいた人ですね」

「タイ捨流っていうのは、新陰流から派生した古流剣術ですね。確かドリフターズの島津豊久が使ってた気がします」

 

 

「初代は、20代後半頃に京都に上り、天寧寺の僧・善吉和尚のもとで、天真正自顕流という剣術を修めました」

「え? 剣道場の師範とかじゃなく、お坊さんに剣を習ったんですか? 一体なぜ……?」

「善吉和尚は、昔は名のある武士だったんです。親の仇を討ったことで仏門に入ったと言われたりしてますが、詳しいことはわかりません」

「なるほど」

「天真正自顕流を修めたあと、初代は薩摩へ帰国し、タイ捨流の技術を組み合わせて独自の剣術『示現流』を創ったんです。その後、御前試合でタイ捨流の剣術師範を破り、島津家兵法師範となりました

「初代の性格や人物像はどうだったんでしょうか」

きわめて礼儀正しく、物事を荒立てない人格者だったそうですよ。薩摩藩家老から島津家内部の密事に関わる相談事を受けることも多々あったらしく、信用されていたようです。また、薩摩藩の密貿易の拠点で、重要なポジションにも就いていました」

「へぇ~、剛剣を振るう剣士というイメージから、豪快な荒くれ者タイプかなと思ってました。文武に優れた人物だったんですね」

「薩摩は諸外国からの圧力が強くかかる地でしたから、外交に関わるものは文武両道であることが奨励されたんです。暴力で外交をどうこうしろという訳ではなく、武に優れた人物であればこそ、刀を抜かずに済ませられる、という考えです」

「刀を抜かずに済ませる……“抑止力”みたいなことかな」

「その通りです。なので示現流では、最初に『刀は抜くべからざるもの』と教わります。刀を抜かない(争いにならない)ためには、強くなれという意味です」

「だからこそ、稽古に於いては手を抜かず、何千回も打ち込みをしろと」

「その通りです。初代は屋敷の周りの木に打ち込みをして、すべて打ち枯らすほどだったらしいです」

「示現流って、樹木にとってはすごく厳しい流派ですね……」

 

「この記事を読んでいる人の中にも、『示現流を学んでみたい!』という読者がいるかもしれません。全国ではどの都市に支部があるんでしょうか」

「残念ながら今の所、鹿児島の外に支部を作るという考えはありません。学んでみたいという方は、ぜひ鹿児島までお越しになってください」

「え、支部がない!?」

「示現流は、昔は薩摩藩内で御流儀とされ、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていたんです。それに比べれば、今はかなり門戸を広く開けているとは思います」

「稽古に来るのは鹿児島の方がほとんどなんですか?」

「いえ、今は地元が半分、県外からの方が半分くらいですかね。時代に逆行していると思われるかもしれませんが、亜流を作らず、厳格に伝統を守るためにこういうスタイルを取っているんです」

「グローバルになるべきものと、伝統を守るべきものと、どちらもあって良いと思います。示現流にはぜひ、実戦古流剣術の伝統を、後世に伝えてほしいです! 今日はためになる話を色々とありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

まとめ

というわけで今回は、初太刀に全てをかける剛剣『示現流』についてお話を伺いました。

 

ロマンを掻き立てられる古流の剣術……そして伝統を守るため、今も厳しい研鑽を積む剣士たちのエピソードに圧倒された取材でした。

 

示現流は現在も第十三代宗家・東郷 重賢氏の手によって伝えられています。

「刀を抜かない(争いにならない)ためには、強くなれ」という示現流の教え、現代を生きる我々も心したいものですね。

 

 

(おわり)

 

示現流をその目で見てみたいという人に朗報!

大阪城で行われる、

「幕末・維新150年ファイナル 西郷隆盛と西南戦争~大阪城の秋まつり2018~」

にて、有村さんが理事を務める公益財団法人示現流東郷財団が演武を行いますよ!

11月4日(日)14時から! 関西圏の方はぜひどうぞ!