おまけ対談「みんな、大阪にいた頃」
「いろいろ面白い話を聞かせてもらったんやけど、今日はこんなもの持ってきたのよ」
「うわっ『パグマガ』! 僕何冊かまだ家にあります」
『パグマガ』は、1998年~2004年頃まで僕(藤本)が編集発行していた隔月発行のフリーペーパー。京阪神で一万部を自力配布してました
「懐かしいでしょ? で、このページがネゴちゃん一番最初の連載……」
「『ネゴリーメイト』!!!」
「なかなかヒドいタイトルだよね」
「あ~この文章めっちゃ恥ずい。今は絶対こんなの書かない(笑)。やっと人の気持ちになって書けるようになってきました。マジで僕、この頃、文章って何かよくわかってなかった」
「ね、これは覚えてる?」
「あ、(とろサーモン)久保田と! っていうか藤本さんのペンネーム! あの頃は六畳川さんでしたね」
「そうそう。当時雑誌でお笑いの原稿書くときはこのペンネームやったから、芸人さんにはいまだに六畳川くんって言われる。ちなみにこれは久保田くんと焼肉食べに行ったときの。普通に飲み食いしてるだけ(笑)。でも今読んでも面白いよ」
「とろサーモンがABC(朝日放送)のお笑い新人グランプリをとったって書いてますね。いつだろ? 僕がまだ大阪にいるとき?」
「いるときやと思う。2004年か2005年かな」
「すごいな! 14年前!? 25~26歳のときだ」
「こっちの(南海キャンディーズ)山ちゃんとの対談も2005年やわ」
「僕の仲良かった面々と。いや、懐かしいな。当時、藤本さん、野爆の川島さん(くっきー)の個展もプロデュースされたりしてましたよね」
※ヤバクテン…2006年に僕がプロデュースした野性爆弾のアート展のフライヤー。くーちゃん(くっきー)東京できちんと評価されて嬉しい!
「今でこそ川島さん(くっきー)はものすごい評価されてますけど、あのとき、あんな展覧会やろうっていう人、藤本さん以外誰もいなかったですよ」
「みんな気づいてたと思うけどね。実際にやっちゃっただけで。ほら、これもすごくない? ジャルジャル後藤くんと(ムーディー)勝山くんと」
「こんなときありました!? 後藤とよくメシ食ってたんかな? 勝山とは一緒に住んでたんですけど」
「僕が後藤くんに会いたくてお願いしたのかな? この組み合わせ、いまやないよね」
「ないっすよ。これすげえな。ようこんな対談できたわ」
「山ちゃんもみんな、ギリギリ大阪にいたんだよね。他に連載してもらってたケンコバさんも友近も、まだみんな大阪にいた」
「これ貰って帰っていいですか?」
「もちろん」
「読んでみよ。地獄の顔して」