2017年4月1日、小さなコーヒーショップが群馬県桐生市にオープンしました。 店主は当時まだ15歳の少年、岩野響さん。

 

響さんは中学1年生のとき、学校へ行けなくなってしまいました。「できないこと」に直面し悩む響さんに、ご両親は「できること」を探してみよう、と言います。そして、彼が見つけたのが「コーヒーの焙煎」でした。

 

高校へ行かず、焙煎を生業に生きていくことを決意した彼の人生は、「HORIZON LABO」と名付けた店とともに一変することとなります。

 

その一つのきっかけとなったのが、ジモコロの記事。オープンから1ヶ月後に記事が公開されるやいなや大きな反響を呼び、さらに続いた地元新聞の記事により、響さんは広く知られる存在となります。

 

その結果、響さんのコーヒーを求めて日本全国から人々が殺到。店には長蛇の列が生まれました。さらに、5月以降は雑誌やテレビの取材も相次ぎます。 

 

そして2018年1月には、響さんの持つ発達障がいという特性に家族と共に向き合い、歩み始めるまでの道のりを綴った2冊の著書も出版されました。

 

1年もしないうちに、一躍有名人となった響さんとその家族。 ジモコロで彼の記事を書いた僕は、ずっと響さんのことが気になっていました。

 

驚くようなスピードで成長していった彼の目には今、どんな風景が写っているのだろう? そのことを確かめるため、僕は久しぶりに桐生のお店へと向かいました。 

 

 

お客さんが来すぎて、店頭販売を休止

「こんにちは!」

「お久しぶりです」

「9ヶ月ぶりですよね。響さん、なんだか雰囲気が変わりました?」

「そうですか? まあ、前にお会いしたときから色々あったので(笑)。まずはコーヒーを淹れますね」

 

「あ、前からネルドリップでしたっけ?」

「ここ最近はずっとネルです。僕の焙煎は深煎りなので、ネルでじっくり淹れるとさらに濃く出ます。さあ、どうぞ」

 

「ありがとうございます!…うん、本当に美味しいです。深煎りの苦味が最初にくるんですけど、そのあとに酸味がスッと浮かんでくるような。今は店頭販売を休止して、月替わりのテーマで焼いた豆を通信販売しているんですよね」

「はい。3月のテーマは『はじまり』です」

「『フルーティな味』とかじゃないんですね。詩的です…では、『はじまり』まで遡りましょうか。前回のジモコロの記事が出た後、大変なことになったんですよね」

お客さんが来すぎちゃったんです。店の前の道路もお客さんの車で大渋滞になって、桐生市から苦情が来るくらいで。豆を焼いても焼いても追いつかないし、スタッフといっても僕と両親、手伝ってくださる地元の方くらいなのでてんてこまいで…。」

「当時、桐生の知り合いから『岩野さんのところが大変なことになってる!!』って連絡が来たんです。ご両親のinstagramを見たら『2日で用意していた500パックが完売した』と書いてあって…」

「そうですね、それで慌てて僕は次の日の分を焙煎して。予想していた規模をはるかに超えていたので……」

「僕はそこで『メディアの責任』って言葉が頭に浮かんで青ざめました。その節はすみませんでした!!!」

「いえ、結果として感謝してますよ(笑)! 対面での販売は夏までどうにか頑張ったんですが、限界が来て9月で休止したんです。今は月に400kgくらい焼いていますね」 

 

右にあるのが新しく入れた焙煎機。オープン当時は店舗だった部屋を、現在は焙煎室として使っている

 

「あ、そうだ。両親もだんごさんに会いたがったので呼んで来ていいですか?」

「もちろん!!ぜひお会いしたいです」

 

 

大きすぎる反響が生んだもの

左から、お父さんの開人さん、響さん、お母さんの久美子さん。開人さんと久美子さんは手作りの洋服の店『リップル洋品店』を営む

 

「改めて、岩野家にとって2017年は激動の一年だったと思うのですが」

「夏頃は大変すぎて記憶がないですね(笑)。でも、嬉しいこともたくさんあったんですよ」

「記事が出た直後は電話やメールが殺到しまして。問い合わせだけじゃなく、響への応援のメッセージも多かったんです。それに、北海道や四国、九州のように遠方からはるばる来てくださるお客さんも多くて

「SNSの反応を見ていても、響さんのコーヒーを飲みたいだけでなく、会ってみたい、という人が多かったように思います」

不登校の娘さんと一緒に来てくださったご家族もいて。娘さんが記事を見て『この店へ行きたい』と言ったそうなんですが、彼女がそんな風に出かけたいって言ったのは半年ぶりなんですって」

「そんな風に人が動くきっかけになったのは嬉しかったね。そうそう、響の同級生たちも店に来てくれたんですよ。小学校からの同級生も多いので、中学校のときに突然来なくなった響を心配してくれてたみたいで」

『学校へ来てない間も響は一生懸命やってたんだな!俺も頑張るよ』って言ってくれたんです」

「ね、あれは私も嬉しかったなあ」

 

「素敵なエピソード……。ご両親は以前『お店が響さんと社会をつなぐ窓のようになってほしい』とおっしゃっていましたが、それがまさに実現したんですね」

「色んな人が会いに来たり、応援してくれたりしたことはすごく自信になりました。それに、コーヒーの感想をたくさんもらえたのも大きくて。人によって味の感じ方がさまざまで、コーヒーの奥深さを確認できたんです」

 

 

実はお店は3日で作った

『15歳のコーヒー屋さん』『コーヒーはぼくの杖』の2冊も拝見しました。岩野家のこれまでのお話は、ウェブの記事では掘り下げきれない、紙の本だからこその内容だなと」

「発達障がいをお持ちの方だけじゃなくて、いろんな人に読んでほしいです。こういう生き方もあるんだな、と思ってもらえたら嬉しいですね」

「本の中で気になったエピソードがあるんですが……『お店を3日で作った』のに特に驚いたんです。そんな風にはとても見えない!」

「私が勝手にオープン日を決めちゃったんですよね(笑)」

「その話、詳しく聞きたいです」

「最初は、いきなりお店にするつもりはなかったんです。リップル洋品店の方にちょこっと響のコーヒーを並べるイメージで。だけど、常連さんや地元の皆さんが響のコーヒーをすごく楽しみにしてくださったので、これだけ盛り上がってるならお店にした方がいいんじゃないかと思ったんです」

「それで、いきなり妻がお店のinstagramに『3日後にお店をオープンします!』と書いちゃって

「開人さんと響さんに相談は?」

 

「なかったです」

「おおお…では、そこから開店準備を? そもそもこの部屋はどんな状態だったんでしょう」

「元々は畳敷きの部屋で、洋服用の布を置く倉庫にしてたんです。まずは布をどかして、畳を剥がして、カウンターを作って壁と床を塗って……」

「それ、3日間でよくできましたね」

徹夜で作業したので3kgくらい痩せたんじゃないかな。響は響で焙煎があったので、改装作業はほぼ僕一人でした」

「僕は3日間ぶっ続けで豆を焼き続けてました」

「文化祭の準備みたいだ」

「その通りです」

 

「それなのに妻と響は『このままだと間に合わないんじゃない?大体でいいよ』なんて言い始めるし……」

「そ、そこで妥協しなかったからこその今なわけですから!」

「二人には無理をさせちゃいましたけど、リップル洋品店にちょこっと豆が置いてあるだけだったら、記事にもなってなかったと思うんです」

「そうかもね。春は洋服屋の方も忙しいんです。それもあっててんてこ舞いだったんですが、店の常連さんが手伝ってくれたので何とかなりました」

響のコーヒーが話題になって大行列ができたとき、販売を手伝ってくれたのも常連さんたちなんですよ。自営業の方達が自分の仕事をやりくりして駆けつけてくれて。限界になると手を差し伸べてくれる人がいるんだなと……」

「前回の記事でも『桐生の人は面倒みがいい』とおっしゃってましたね。地元の人たちあってこそのHORIZON LABOだったんだ」

 

 

「伝えること」の難しさ

「店頭販売でピークの時はどのくらい売れてたんですか?」

「1日に約1000袋分くらいですね。そこで難しいのが、お客さんからすると『1日で1000袋作れる』と思っちゃうわけです。明日来れば買えるのね、と。でも、あくまで月に7日間の営業日に向けて作りためていた量なので…」

「響さんが一人で、手作業で焼いた豆ですもんね。そんなにすぐに焼けるわけではない」

テレビに出てからは『売り切れるわけがない』という感覚で来るお客さんも増えたかもしれません。それこそコーヒーチェーンと同じというか。響がひとりで丁寧に焙煎してるというところまで、うまく紹介しきれなかったなと。もちろんわかってくれてるお客さんが大半でしたけどね」

「遠方からの方も多かったので、売り切れですっていうのがとにかく申し訳なくて……」

 

「それと、情報がうまく伝わらない難しさがありました」

「伝わらない、とは?」

「ホームページやSNSでは、最新の販売情報を随時載せてたんです。でも、来てくれるお客さん全員がそれを見てくれてるわけではなくて」 

「例えばまとめサイトみたいなものを見て来る方もいて、その場合は古い情報で止まってしまってるんですよね。それに、SNS上でもあまり込み入った文章は読まれないんですよ」

「例えば『売り切れ』なら、理由も含めて丁寧に説明しますよね」

「『それで、要点は? 売れないってこと?』となってしまう場合もあって」

「instagramの写真に『いいね!』を押してくれた人でも、写真に添えた文章の方は見ていないとか。フォロワーさんだから全部伝わるってわけじゃないんだと気がつきました」

「なるほど、情報をコントロールする難しさ、『伝わらなさ』の壁があったんですね

「そこは僕たちの力不足です。家族でやっていたので、すべてに対応しきれなかった。でも、逆に言えばこんな状況になったのは、インターネットの『伝える力』のおかげでもあるんです。そこには感謝しています」

 

 

「こんな店潰してやる!!」

「響さん、忙しかった頃って正直なところどんな気持ちでした?」

「なんのためにコーヒーをやってるのかわからなくなってましたね。とにかく量を作らなきゃいけなくて…」

「そもそも、自分ができる範囲でやってみようって始めたからね。量を作る体制もなかったですし。いっぱいいっぱいになって、響は『こんな店潰してやるー!!』って叫んでたよね

「ジモコロの取材受けなきゃよかった!とか思いませんでしたか?」

「それは全然!むしろジモコロさんの記事が一番しっくりくる内容でした」

 

『ジモコロさんに店閉めるって書いてもらってよ、影響力あるんでしょ!ライターさんに電話してよ!』ってね……」

「お母さん、響さんが恥ずかしそうなのでそのへんにしておきましょう。では今はだいぶ落ち着きました?」

「そうですね、時間にも心にも余裕ができました。焙煎に集中して打ち込めてるので、ちゃんと丁寧に美味しいものを作れてると思います」

「休みの日は何をしてるんですか?」

「最近は美術館に絵を見に行くのが好きです」

「美術館!東京ですか?」

「はい、一人で電車に乗って行きますよ。絵画は色んな見方ができるから素敵だと思います。そんな風に絵画を見たり、日々のインプットの中からコーヒーの出したい味のインスピレーションを得るんです

「アーティストですね。ご両親も洋服作家さんですし、家では3人でどんな会話をするんですか?」

「ものづくりについてずっと話してます。『表現は自由でいいよね』とか…今まで主人と二人でしてた話を、今は響も一緒にできるようになったのでとても楽しいんです」

「(すごい家庭だなあ…)」

 

すべてが手作業で作られた洋服が並ぶ「リップル洋品店」。毎月1〜7日が営業日

 

「いま、響さんのコーヒーをネット以外で買える場所はあるんですか?」

「渋谷のD&DEPARTMENTのほかに、群馬の高崎にも何軒かあります。あと最近、モナコのレストランで僕のコーヒーを使ってくれることになったんです」

「モナコって海外のあのモナコですよね。すごいな!」

「シェフの奥さんが日本人で、ご縁をいただいて。あとは豆を送るだけなんですけど、送り方がよくわからなくて…(笑)。今度、ご挨拶も兼ねて直接届けに行く予定です」

「レストランのコーヒーになると、また目指す味も変わってくると思うんですよね。それも楽しみなんです」

「響さんの目指す理想のコーヒーってあるんでしょうか?」

「そうですね…ミルで豆を挽いたり、ゆっくりコーヒーを淹れたりする時間が好きなんです。そんな風に暮らしの中にあるコーヒーが理想ですし、そういうコーヒーの文化を伝えていけたら、と思ってます」

「なんだかたくましくなった響さんに会えて今日は楽しかったです。ありがとうございました!」

 

 

 

おわりに

響さんと久しぶりに会い、「こんなに笑顔で、こんなにまっすぐと言葉を発する少年だったっけ?」と驚きました。

お店を通じて生まれたたくさんの出会いと、嵐のような日々をくぐり抜けた自信が、彼を強くしたのでしょう。

 

響さんは今日も、桐生の小さな焙煎室でコーヒーを焼いています。16歳の彼が「今」を詰め込んだコーヒーを、ぜひ味わってみてください。

 

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写真:藤原 慶(Instagram