ごくり……

 

 

ずずっ……

 

「うま〜〜〜!」

 

お茶をいただきながら失礼します、ライターの淺野です。

 

いま僕は、静岡県の三島市に来ています。伊豆半島の付け根に位置し、あらゆるところに富士山の伏流水が流れる「水の都」とも呼ばれる自然豊かな街です。なるほど、お茶も美味しいわけですね。

 

 

街のシンボルとも言える三嶋大社は、奈良時代にも記録が残っているほど長い歴史を持ち、地名の由来にもなった場所。商売繁盛や家内安全のご利益があるとされ、縁起のいい草餅「福太郎」もいただけます(冒頭で食べていたやつです)。

 

 

そんな三島市は、新幹線を使えば東京から1時間もかからずアクセス可能。高速道路のインターチェンジも近く、伊豆や箱根に移動する拠点としても便利な街なんです。

 

アクセスの良さと自然豊かな環境が相まって、移住やワーケーションの目的地としても注目されている三島。最近では働きやすく、過ごしやすい施設も整っているようで……

 

写真提供:Saikusa and Partners 株式会社L&B

 

起業を目指す方や創業間もないスタートアップを支援する「LtG Startup Studio」や……

 

 

元幼稚園をリノベーションした、カフェ&バー付きのコミュニティスペース「みしま未来研究所」など、さまざまな施設が駅からそう遠くないエリアの中にギュッと揃っています。

 

他にも、住居スペースも兼ね備えたコワーキングスペース「三島クロケット」など、数多くのユニークな施設を見ていると、とある会社の名前が目につきます。

 

 

それが、こちらの「加和太建設」さん! 建設会社と聞くと、新しい建物を建てたり壊したりがメインの仕事で、施設の運営やコミュニティづくりとは縁遠いようなイメージがありました。

 

ところが加和太建設では、施設のコンセプト作りからイベントの企画運営、さらには街中でのオフィス運営まで、街を盛り上げるための事業を積極的に行っているのだとか。

 

建物を建てるだけでなく、まちづくりにまで取り組む建設業者の取り組みは、いったいどのように生まれたのでしょうか。代表取締役の河田亮一さんにお話を伺いました。

 

建設業なんてイヤだった。3代目社長の思い

お話を聞かせてくれた河田さんは、高校時代を海外で過ごし、帰国後には大手企業や銀行を経て加和太建設に入社し、代表取締役に就任したという経歴の持ち主。さぞかし家業である建設業に熱い思いを持っているのだろう、と思いお話を聞いてみたのですが……

 

僕、もともと建設業なんて絶対にやりたくなかったんですよ

「えっ!?」

「行政から公共工事の仕事ばかりもらっている、恵まれた産業だと思っていました。『税金を使っていらないものを作っている』ようなイメージを、僕自身も持っていたんです」

「誰のためかもわからないハコモノばかりつくる、みたいなイメージは、なくはないかも……?」

「悪い事件や事故があると、だいたい建設業の関係者が出てくるし。メディアで流れるそういう情報の印象もあって、家業であっても継ぎたくないと思っていました」

「世間的な建設業へのネガティブなイメージを、河田さん自身が持っていたんですね。では、親に言われて仕方なく、ブーブー言いながら働いていたんですか?」

「いやいやいや。僕は10代の頃、自分が生きた証として、社会を良くしてから死のうと決めたんです。最初は政治家になろうとしたけど、経営者であればもっと短い時間でインパクトを残せると思って。IT系の経営者になろうと思っていたんだけど、アイデアがなかったから、まずは親孝行のつもりで家業を手伝うことにしたんです」

「(10代で死に方を決めていたの、かっこいいな……)」

 

「そうしてウチで働く社員と対話を繰り返すようになりました。建設の現場は天候にも左右されるし、身の危険もある。一生懸命、街のためにものを作っているはずなのに、音や振動のせいで、近隣住民からは疎まれさえする。『こんなに大変な環境なのに、なんでこんな仕事をしているんですか?』って聞いたんです」

「いわゆる3K(きつい・汚い・危険)労働みたいな環境で、どうしてそこまでがんばれるかが不思議だったんですね。どんな答えが返ってきたんですか?」

『俺たちは、街の人のためにものを作っている。災害があったら、自分たちが作ったもので街が守られるし、道路や建物が使われている姿を見るだけで、俺たちは満たされるんだ』って話してくれたんです」

 

本気で街のために仕事していることを知って、『すごいな、この人たち!』と思いました。でも、こういう現場で働く人のことを知る機会って、なかなかないじゃないですか。働く人たちの想いが見えにくい構造を変えたいと思って、そこから地方建設業のことを本気で勉強し始めました」

「社員の想いを知って、河田さん自身も持っていたような、建設業へのイメージを変えようとしたんですね」

「調べてわかったのは、地方建設業は、良くも悪くも行政との距離がすごく近いということ。ヒト・モノ・カネと情報が集まるし、街の歴史や文化とも長く寄り添って、その土地に深く根付いている産業なんです。だからこそ、ただ口を開けて公共工事だけを待つだけではなくて、自分たちから地域を良くしていく産業になるべき、と思うようになりました」

「ただ頼まれてやるだけではなく、自分たちから街のために動くようになったのですね」

 

街ぐるみで門前に活気を取り戻す

「地域を良くしていくために、何から始めたのでしょうか?」

「最初に取り組んだのが『大社の杜 みしま』という複合商業施設の立ち上げと運営です。三嶋大社の目の前にあった場所です」

 

「もともと三島は大社の門前町で、箱根の山へと行き交う人が1日休むような宿場としても栄えた町でした。でも、交通機関が発達したことで、人が止まらずに寂れてしまったんです。神社の前をもう一度、ヒトやモノが集まる場所にしたいと思っていて」

「昔のような盛り上がりを再現しようとしたんですね」

 

「もともと大社の目の前には酒蔵があったのですが、後継者がいなかったんです。一時期はコンビニにもなったけどうまくいかなくて、地主さんと行政がいい使い方がないかと悩んでいたときに、『まちづくりをやる!』と息巻いていた僕のことを思い出してくれたみたいで。運良く紹介してもらえました」

「河田さんのやる気を覚えていてくれたんですね。商業施設の運営は初めてだと思うのですが、どのように進めていったのでしょう?」

「地元の企業さんたちと一緒に、お店を出してイベントをひたすら開催していけば、いつかは熱気や活力が生まれると考えました。『門前町の再生のためには地元の企業でやることが大事だから、みなさんに出店してほしい』と話しこんで、15店舗くらいに集まってもらいました」

「直接声がけして巻き込んでいったんですね! それまでは公共工事が多かったから、あまり民間のお店への広がりがなかったけれど、みんなが参加できる場所づくりをきっかけに、地域の人や企業ともつながりができていった、と」

「弱小建設会社で35歳くらいのやつが、まちづくりのためにがんばってるぞ、という応援ムードもありました。イベントの運営方法なんてわからないから、新しい人を雇ったり、中学時代の友達に声をかけたりして大変でしたけど(笑)」

 

「施設をオープンした時に、全社員とその家族も含めて、この施設で好きな時間を過ごしてください!ってやったら、ものすごくみんなが楽しんでくれた。こんな素敵なことをやる会社なんだ、と家族にも肯定されて、社員も会社にも誇りを持ってくれたんじゃないかな」

「街のために働く建設会社というイメージが、社員の家族に伝わっていったんですね!」

「施設が始まってからは、休みの日にも誰もいなかったような門前がすごい盛り上がって、最終的には年間で45万人くらい来てたのかな。でも、次第にちょっと風向きが変わってきて」

「むむっ」

「『一緒に』まちづくりをしよう!と始めたはずなのに、次第にうまくいかないことや足りないことを、お店側からウチの会社に要求されるようになってしまって。こちらからギブし続けるような関係が、すごくイヤになってしまったんです。当時は映画も撮っていたんだけど、そこではボランティアの人たちがすごい自主的に動いてくれていたから、それとの対比も気になって、結局この施設は閉めることになりました」

「(『映画も撮っていたんだけど』とは!?!??)一緒に盛り上げる、というスタイルが少しずつズレてきてしまったんですね。なかなか難しい問題ですね」

 

「……聞き間違いだったらすみません、河田社長、映画を撮っていたんですか?

 

「うん」

 

地域の不和を解決する映画制作プロジェクト

「思いがけないワードでびっくりしているのですが……。どうしてまちづくりを志している河田社長が、映画を作ることになったのでしょう?」

「大社の杜を立ち上げてから、いろいろな場所の企画や運営を任されるようになって、町の人たちとのつながりが増えました。そこには川の清掃をがんばっている団体もあれば、花で街を良くしようとする人たちも、三島野菜を使ったコロッケを広めたい人たちもいて。いろんな人たちが自分なりの魅力を育てようとする姿が印象的でした」

 

「でも、お互いが自分と違う手法で街を良くしている人たちのことを否定し合うみたいな空気もあったんです。『そんな方法じゃ飯食えないよ』とか言い合ってるのを見て、良くないなと思って」

「いいものがたくさんあるからこその悩みだ……」

「どうにかこの人たちが一緒になれる方法がないかと思っていた時に、林弘樹さんという映画監督が、市町村合併に合わせて映画を撮影していることを知りました。三島は合併するわけじゃないけど、一緒に映画を作るのはいい手段だと思って。僕が発起人になって、映画制作のためのNPO法人『みしまびと』を立ち上げて、林弘樹さんを呼んで三島の人たちと映画を撮影することにしました」

「街を舞台に、みんなで映画を作ろうとしたんですね。でもこれ、河田さんは会社の本業とは別でやっていたんですか?」

「うん。今思えば、無茶苦茶なことをやってました(笑)。加和太建設はスポンサーという形で『もしかしたら6,000万円くらい負担するかもしれない。でも街を良くしたいからやらせてくれ』って当時社長だった父に相談して。結局は寄付や支援があったから、そんな金額にはならなかったけど『そこまで思うならやってみろ』と許可をもらえました」

「河田さんのがんばりや活動が、社内にも少しずつ浸透していたんでしょうね」

 

「監督や役者さん、スタッフの中核となるプロの方以外は、地域でボランティアの人たちを募りました。出演者としてだけでなく、スタッフとしてもすごい熱量でやってくれたんですよ。200人くらいがコアメンバーで活動してくれて、全体では4,000人くらいの方々が関わってくれました」

「すごい人数! みんな、自分たちが住んでいる地域に関心があったんだなぁ」

「僕は会議がある度に『街の人のことも文化も知らなきゃいけないし、横のつながりを持たなきゃいけない。多様な人でお互い尊重しあってまちづくりをしていくために、映画を作っているんだよ!』って、ひたすら言い続ける役割でした。みんな撮影で楽しそうだなーって思いながらね(笑)」

「まちづくりという目的を見失わないように、舵をとり続けたんですね」

「映画づくりは街のためにならないと言われたこともあったけど、そういう人には『あなたも街のための活動を始めた時、まわりから否定されて悔しい思いをしたんじゃないですか? どうして同じような言葉を僕らにかけるんですか』と伝えていました。最後には、誰かが否定することなく、みんなで応援できるような関係性ができたと思います」

 

「映画制作にはたくさんの苦労もあったのではないでしょうか」

「映画撮影なんて理不尽の連続なんです(笑)。急に新しいシーンを撮るだとか、あの車をどかせだとか。色々大変だったけど、そのおかげで一体感も生まれたかな」

「みんなで一緒に理不尽を乗り越えたんですね」

映画づくりを通じて、街中にいる素敵な人も知れたし、輪が広がった感覚がありました。映画づくりというわかりやすい出口があったし、完成した作品はみんなが共有・共感できるものになったと思います」

 

移住者が入りやすく、街の当事者が活躍できる場づくり

「淺野さんが行った『みしま未来研究所』は、映画撮影の時に大道具の保管場所として使っていた、思い入れがある場所なんですよ。取り壊して駐車場にするという話もあったけど、思い出の場所を壊してほしくなかったから、NPOの人たちと一緒に街づくりの拠点として使えるように企画して、行政に話を通したんです」

映画づくりを通じて生まれた関係が、その後も続くための拠点になったんですね」

 

「未来研究所のスタッフには、移住者がとても多いと聞きました」

「最初はそんなつもりもありませんでしたが、結果として入りやすい空気ができているみたいですね。地元の多様な人たちが集まる拠点だったから、外から来た人に対しても、オープンでウェルカムな場所になっているのだと思います」

「フラっと入った僕も、素敵な場所だと思いました。加和太建設としても、外部から移住者を呼び込もうという意識はあるのでしょうか?」

コロナでリモートワークや移住が増えたときに、もともとあった三島の多様性や食文化、自然の豊かさと、都市圏のデジタルやクリエイティブが組み合わさったら、きっと良い化学反応が起きるんだろうなと思って。ウチとしても、そういう人材を誘致したいと思ってスタートアップスタジオなどを始めました」

 

LtG Startup Studioの入り口には加和太建設が手がけるシェアサイクルも

 

2021年10月にオープンした、家守付きコワーキングスペース 「ワーカーズビリング 三島クロケット」

 

「住居スペース付きのコワーキングスペース『三島クロケット』も、1日から数ヶ月まで、いろいろな長さで三島に滞在するのに最適な場所ですよね」

「いきなり移住するのは難しくても、まずは三島クロケットで試しに働いて、シェアサイクルで街を回って、夜には未来研究所に飲みに行って知り合いを作って。そういう流れもできると思います」

「外から来た人が働いて、暮らして、知り合いも作りやすい場所があれば、街の魅力を知る機会がぐっと増えますよね」

でも、ウチの会社だけでやっているわけではなくて。それぞれの施設に関わってくれる地域のプレイヤーがいるからこそ、こういう拠点が整備できるんです。映画をNPOやボランティアのみんなで作ったように、街の人たちが当事者になって運営していくことが、とても大事なんじゃないかな。そのための多少のリスクなら、ウチが企業として持ってあげればいいし」

「映画づくりも街の施設も、地元に貢献したい人たちが活動するための座組みを、加和太建設さんが先導して作っているように感じられました」

 

不動産との出会い方も変わっていく

「街中ではセンスの良さそうな個人店も見かけましたが、河田さんも紹介などで関わっているのでしょうか?」

「もう壊すしかないと思われている物件を買い取って、リノベーションしてくれる業者と繋げるようなことをしていました。おもしろいプレイヤーが外から入ってくれたおかげで、今では僕らの手の離れたところでも『三島はおもしろいらしい』となっているみたいです」

 

「街との出会いという意味では、このオフィスもすごい街中にありますよね」

「ここはもともとレストランだった場所で、たまに間違って人が入ってくることもあります(笑)。これ以外にも、他の会社とオフィスをシェアしていたり、ビルの空室を借り受けて働いていたりと、街との接点を積極的に作ろうとしています。今まで僕個人がやってきたことを、会社としても達成したいと思っているんです」

「なるほど! 街中で加和太建設さんのことを目にする機会が増えれば、何かをやりたいと思った時に、河田さん以外の社員さんにも相談しやすくなりそうですね」

最近ではウチのまちづくりに興味を持って、新卒で入社してくれる人もいます。すごいやる気がある子は、休みの日に未来研究所に行って、どんどん地元との関係を深めていったりするんですよ。会社としても、そういう期待に応えていきたいくて」

「というと?」

「たとえばウチは不動産の賃貸もやっているんだけど、1日そこらで物件を契約させておしまい、っていう関係は嫌だなぁって思うようになったんです。街を好きな人を増やしたいはずなのに、ただ紹介しておしまいっていうのは、違うんじゃないかと」

 

社内報には加和太建設が関わった建物の動向や、社員のオススメ本などの情報がぎっしり

 

「まちづくりの場で知り合いが増えて、顔が見える人から受けた相談が仕事になると、すごくやりがいがあるんです。だから、不動産事業のあり方も、一生懸命広告を出すだけじゃなくて、そのお金で知り合いや街に興味がある人が参加できるBBQを開催して、そこでマッチングするみたいな仕事になればいいなって思ってます

「不動産と出会えるBBQは新しいし、素敵ですね……! 住む家や大家さんのことを知った上で街に住めれば、その後の暮らしやすさや地域との関係性も大きく変わっていきそうですね」

人口減はどうしたって続いていくから、街を好きな人を増やして、その街を良くしたいと思って行動する人を増やしていきたいんです」

 

加和太建設が発行している、三島のきっかけマガジン「ハレノヒ」。毎号さまざまな切り口で街の情報を掲載しており、街中で入手可能

 

建てる・貸すだけじゃない。地方ゼネコンの新たな姿

「最初はイヤイヤ始めたと聞いてびっくりしましたが、さまざまな事業や取り組みを通じて、河田さんの中でも建設業へのイメージも変わったのではないでしょうか」

「自分たちよりも、周りの人からどう捉えられているかが大事だと思っています。最初の頃は『建設会社っぽくないね』とよく言われましたが、『いやいや、建設会社だからこそやるんです!』と言われる世界を作りたいと思っていました

「工事をするだけでなく、まちづくりに深く関わることを、建設業の当たり前にしたかったんですね」

「おかげさまで、最近では『加和太さんだからやっているんだよね』という言葉をもらうようになりました。僕が持っていたような建設会社への固定観念が、この地域の人からはもう外れているように感じられるのは嬉しいです」

「おぉ、しっかりと建設業へのイメージが変わっていったんですね!」

 

「でも、この居心地のよさで終えたくないとも思っているんですよ。本当に街が変わった、良くなったと思えるまで突き抜けなくちゃいけない。ウチを見に来てくれる他の地方建設会社にも、本当に悩んでいるなら、変わるところまで一緒にやろうと言いたい。『加和太さんはすごいけど、ウチにはできないです』じゃダメだ、情けないよって言うこともあるし(笑)」

「加和太建設のような動きが、全国の地方建設会社で起きていったら、地元のことが好きになる人がもっと増えていくと思います」

「経営者の世代も変わっていきますが、地位や名誉のために70過ぎた団塊世代が残っているところもある。彼らは経済成長の中でずっと仕事をしてきた人たちだから、公共工事を上から要求するようなこともあるんですよ。でも、僕ら団塊ジュニアは、もう公共事業がずっと続くとは思っていない」

「イケイケドンドンな時代ではない、建設業の新しい形が求められているんですね」

 

最近になってようやく、街との接点を持たないといけないと自覚する地方建設業の人が増えてきたのは、良い流れだと思っています。今後は公共運営だった施設が民間に任されることも増えると思うけど、そこで大手がポンとやるんじゃなくて、地場の会社が街のためにここを運営するんだ、と名乗り出てほしい。そういう姿勢は、巡り巡って仕事にもつながっていくと思うし」

「大社の杜も未来研究所も、街を思えばこそできたことですよね」

「そういうビジネス的な視点も持ちながら、本当に必要なこととして、災害対応のための公共工事の維持や管理もしっかりしていく。そうなれば、地方建設業に勤める人たちも、街のために働いているとしっかり思えるし、仕事への誇りも強くなっていくんじゃないかな」

「建設会社で働く人も、街の当事者たちも。お互いが誇りを持って過ごせる場所になれば、地域はより良い場所になりますよね。本日はお時間いただき、ありがとうございました!」

 

おわりに

三島を中心にさまざまな施設に関わる加和太建設。河田さん自身が持っていた建設業へのネガティブなイメージから一転、街のために働く従業員の声に耳を傾けた結果、より街に開かれた、誇りの持てる仕事としてさまざまな事業が生み出されていました。

 

街と建設会社の仕事をつなぐのは、たとえば共同で運営する商業施設だったり、映画づくりを通じた苦楽の共有だったり。河田さん個人の思いで始まったさまざまな取り組みは、若い世代や会社全体を通じた想いとして、街の中に、そして全国にも広がっているように感じられました。

 

自分たちの住む街を支えている建設会社。街の歴史と未来を見つめる時に、気にしてみたい存在になりました。三島の街のこれからも、とっても楽しみです。